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岩村田宿(いわむらだしゅく)とは、中山道六十九次のうち江戸から数えて二十二番目の宿場。 現在の長野県佐久市岩村田一帯。岩村田藩1万5千石の城下町であり商業の町であった。宿場の本陣は存在したが、大破し、その後も再建できず旅籠も最盛期で8軒と少なかった。 == 略年表 == * 1604年(慶長9年) 岩村田の鵜縄沢と砂田に一里塚を築く〔『明治百年記念岩村田歴史年表』佐久市浅間公民館発行全32ページ中17項昭和43年2月15日 〕。 * 1611年(慶長16年)伝馬始まる。 * 1633年(寛永10年) 街道が「荒宿」から「本町」に変更され、道幅二間半となる。 * 1650年(慶安3年)参勤交代の行列初めて岩村田宿を通る。 * 1729年(享保14年) 家数314軒、伝馬屋敷205軒、人数合1822人、馬2、商人八人となる。 * 1742年(寛保2年) 宿場に用水堰完成。 * 1783年(天明3年) 浅間山大噴火し、難民多く岩村田宿に避難。米騒動が上州より発生、暴徒乱入し宿場各所を荒らし上田藩に鎮圧される。 * 1843年(天保14年)岩村田宿町並長さ9丁30間に〔『明治百年記念岩村田歴史年表』佐久市浅間公民館発行全32ページ中34頁昭和43年2月15日 〕。 * 1843年(天保14年)の『中山道宿村大概帳』によれば、岩村田宿の宿内家数は350軒、旅籠のみ8軒設置され、宿内人口は1,637人であった。 * 1861年(文久元年)和宮降嫁のため岩村田宿通行。 * 1868年(慶応4年)官軍の東山軍が宿場を通過。 * 1872年(明治5年)伝馬・助郷廃止。全国中牛馬会社岩村田支店が通常荷物取引開始。 * 1876年(明治9年)中山道を国道に、甲州道を県道とした〔『明治百年記念岩村田歴史年表』佐久市浅間公民館発行全32頁中23項24頁昭和43年2月15日〕。 抄文引用元・出典: フリー百科事典『 ウィキペディア(Wikipedia)』 ■ウィキペディアで「岩村田宿」の詳細全文を読む スポンサード リンク
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