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岩村田遊郭(いわむらだゆうかく)は、長野県北佐久郡岩村田町、現在の佐久市岩村田花園町に存在した花柳界。 == 概略 == この遊郭は、明治22年(1899年)に岩村田の鼻顔稲荷神社の対岸付近に誕生した色里。 面積は約22,000㎡、ほぼ正方形の敷地で、中央に池があった。 この遊里には、八ツ橋、宝王楼、鴻知楼、本亀家、永楽楼、小川楼、大丸楼、新嘉嫁、吉野楼、大円楼、中喜楼、濱舞場などの置屋があった。また、敷地内には病院、神祠、櫓などがあった。中山道追分宿の置屋がここに移転開業した例もみられた。置屋は2階建、3階建だが、亀屋は5階建で屋上にマモヘッド寺院のようなドームがついており、周囲の農民はドームを日時計としたり、夕方聞こえる囃子唄で時間を知ることができたという〔『佐久市志民俗編上』全1706頁中1026頁発行者長野県佐久市 平成2年2月20日発行〕。遊郭の中央の池には多くの魚が放流されていたが、水稲を行ったこともあった。池の周囲で馬を走らせたり、競馬大会を行ったこともあった。郭(くるわ)の敷地は黒板塀で包囲され、出入りは大門の番人の許可を必要とした。普段は客と関係者以外は、入場を禁止されていたが、祇園祭の時は子供神輿が内部を練った。この色町では、♪鼻顔稲荷にゃ尾の無い狐が時々化けては、だますそうだ キタサッサヨイサッサ♪と「御稲荷甚句」が流行した〔 『佐久市志民俗編上』全1706頁中1023頁発行者長野県佐久市 平成2年2月20日発行〕。また、「信州の吉原」とか「遊女四百人」とも言われ、県内外の客で非常に大繁盛したが昭和15年(1940年)にその幕をおろし、今は市営住宅が建っている。なお、現在も跡地に現在残っているのは、石の大門と病院の建物。ところで岩村田遊郭は、かつての岩村田丹過(たんご)地区の風情を表現した色里と言われた。江戸時代には、岩村田の丹過池(たんごいけ)という池の周囲に色町的な小屋が並んでいたと言う。丹過(たんか)とは「遊行僧が過ごす宿」のことだが、その僧宿が、やがて花柳の宿に変化し、丹過(たんご)になったという〔金沢正昭 『歴史に学ぶ岩村田の昔 佐久市岩村田』 平成14年11月2日発行、全47頁中21頁。 〕。 抄文引用元・出典: フリー百科事典『 ウィキペディア(Wikipedia)』 ■ウィキペディアで「岩村田遊郭」の詳細全文を読む スポンサード リンク
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