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岩橋小彌太 : ミニ英和和英辞書
岩橋小彌太[いわ]
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〔語彙分解〕的な部分一致の検索結果は以下の通りです。

: [いわ]
 【名詞】 1. rock 2. crag 
: [はし, きょう]
 【名詞】 1. bridge 

岩橋小彌太 ( リダイレクト:岩橋小弥太 ) : ウィキペディア日本語版
岩橋小弥太[いわはし こやた]
岩橋 小弥太(いわはし こやた、明治18年(1885年10月11日 - 昭和53年(1978年12月9日)は、日本歴史学者國學院大學名誉教授文学博士
古文書の調査・研究に業績をあげた。他にも、上代から近世におよぶ日本史全般、さらには中世芸能史、神道史・国文学など幅広い分野で活躍した。
== 略歴 ==

*明治18年(1885年)10月 大阪府大阪市東区に生れる。
*明治37年(1904年)3月 大阪府立天王寺中学校卒業。同級に、西田直二郎折口信夫武田祐吉など。
*明治40年(1907年)7月 私立國學院大學師範部国語漢文科を卒業。8月、大阪市史編纂事務嘱託(-明治42年3月)。
*明治42年(1909年)3月 三省堂編修所に勤務、『辞林』の増補に従事。
*明治44年(1911年)4月 国書刊行会に勤務。
*大正3年(1914年)9月 三井家史編纂事務を嘱託される(-大正5年12月)。
*大正6年(1917年)4月 京都帝国大学文科大学助手。当時国史研究室には内田銀蔵三浦周行両教授がいた(なお、三浦が國學院大學で日本法制史を講義し岩橋はこれを受講していた)。八代国治等の推薦によるもの。
*大正8年(1919年)10月 東京帝国大学より史料謄写事務を嘱託。
*大正13年(1924年)10月 京都帝国大学文科大学を退官。堺市史資料蒐集事務嘱託(-大正15年10月)。
*大正14年(1925年)5月 東京帝国大学史料編纂官。『大日本史料』第七編担当。
*大正15年(1926年)5月 國學院大學教授
*昭和8年(1933年)4月 明治大学文科専門部教授。
*昭和14年(1939年)3月 國學院大學附属神道部教授。
*昭和16年(1941年)3月 帝国学士院より宸翰集成編纂事務を嘱託。19年には紀元二千六百年奉祝会会務を嘱託され、『宸翰英華』の編纂に従事。
*昭和21年(1946年)4月 國學院大學学部教授。
*昭和22年(1947年)2月 東京帝国大学史料編纂官を退官。
*昭和24年(1949年)4月 明治大学文学部兼任教授(-昭和33年3月)。10月、「中世の謡物に関する研究」により文学博士の学位を授与。
*昭和34年(1959年)2月 文化財専門審議会専門委員・書跡部会長を委嘱される。
*昭和39年(1964年)10月 宸翰を主とする文書調査・筆跡研究の功績により紫綬褒章を受章。
*昭和42年(1967年)11月 勲三等瑞宝章を受章。
*昭和43年(1968年)3月 國學院大學を退官。4月、名誉教授。
*昭和53年(1978年)12月 老衰のため死去。正四位を追贈。 

抄文引用元・出典: フリー百科事典『 ウィキペディア(Wikipedia)
ウィキペディアで「岩橋小弥太」の詳細全文を読む




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