|
===================================== 〔語彙分解〕的な部分一致の検索結果は以下の通りです。 ・ 岩 : [いわ] 【名詞】 1. rock 2. crag ・ 田 : [た] 【名詞】 1. rice field
岩田廉太郎(いわた れんたろう 1951年 -)は、日本の漫画家。鳥取県鳥取市出身、鳥取県立鳥取東高等学校卒業後〔とっとり市報2008年9月号。〕、手塚治虫のアシスタントとして働きながら書いた『少年探偵団』で漫画デビュー。『無敵超人ザンボット3』や『UFO大戦争 戦え! レッドタイガー』等のコミカライズ作品を描いた。 1989年には、鳥取で制作スタジオ「まんが工房」を開設し、鳥取県・島根県内の地元新聞日曜版に連載し、現在は歴史マンガ系の作品の制作活動をしている。 == 略歴 == * 1967年 - 高校生の頃から、本格的に漫画を描き始める。〔原画展出品のプロフィール漫画より。〕 * 1968年 - 高校2年、学研『中一コース』の漫画賞で佳作入賞。 * 1969年 - 高校3年、集英社の『りぼん』に応募、最終選考まで残ったものの落選。 * 1970年 - 高校卒業後、大手スーパーの宣伝部に就職。 * 1972年 - 19歳、漫画家になる決心をして上京、手塚治虫一門となり、漫画の修行が始まる。 * 1973年 - 22歳、小学館『少年サンデー』で新人漫画賞で佳作入選を果たし独立。ところが連載どころか読みきりのチャンスさえない有様、何社もの出版社に持ち込みをする日々が続いた。 * 1975年 - 24歳、秋田書店『少年チャンピオン』持込をしたときのこと、同じフロアの『冒険王』の編集長から直々に声が掛かり連載が決定した。 * 1983年 - 32歳、鳥取へUターンして結婚、印刷会社のデザイン部に勤務。その頃専業漫画家を休業する。 * 1989年 - 38歳、ニュースで師匠・手塚治虫の訃報を知り漫画家復帰を決意、制作スタジオ「まんが工房」を鳥取市国府町(当時は岩美郡国府町)に設立。2010年頃にはスタジオを自宅に移す。 * 2011年11月26日 - 60歳、鳥取市文化センターにて、初の原画展を開催。〔新日本海新聞社『日本海新聞』(2011年11月27日付け)〕 抄文引用元・出典: フリー百科事典『 ウィキペディア(Wikipedia)』 ■ウィキペディアで「岩田廉太郎」の詳細全文を読む スポンサード リンク
|