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岩田 昭弘(いわた あきひろ、1943年 - 2011年9月13日〔)は、元お笑い芸能人。35歳の時に芸能界を引退し、ラーメン店を開業。経営に失敗し自己破産した後、ボランティアで紙芝居を行うようになり、肺癌を患いながらも活動を続けた。岐阜県笠松町出身。 == 生涯 == 老舗和食料理店の8人兄弟の次男で、芸人に憧れて、上京。コント55号に弟子入りし、 萩本欽一の付き人〔となる。 1968年に「岩がん太」の芸名で〔〔車だん吉とお笑いコンビ「コント0番地」を結成し〔〔、一時は週に7本のレギュラー番組をもち〔、会社の重役並みの収入を手にしていた。 しかし35歳の時に両親の介護を理由に芸能界を引退し、郷里の岐阜市へ戻った〔。岩田自身はこの時期について、「24歳でデビューして、35歳まで芸能界にいたのかな。売れてた頃は週に7本のレギュラーを抱え、一流企業の重役クラスの給料もらってた。でも、だんだん仕事が減り、先々のことを考えたら不安になって、オヤジが病気で隠居したのをきっかけに岐阜に帰ってきたんだ」と振り返っている。 様々な食品業種を修業し、40代からラーメン屋「がん太」・「嵯山 SAZAN」を経営する。しかし経営に失敗し〔〔、2009年に自己破産〔〔〔して生活保護を受けるようになり〔〔、妻とは離婚した〔。 生活保護を受けている恩返しにという気持ちから〔〔、2010年4月〔にボランティアで紙芝居を演じるようになる〔〔〔。 2011年に肺癌を患い、右肺の3分の1を摘出するとともに5年以内の生存率33%の宣告を受ける〔が、抗癌剤投与の副作用による頭痛や倦怠感に悩まされる中〔、痛み止めと酸素吸入器に頼りながら〔、全身を使って演じる〔紙芝居を続けた。 2011年9月13日夕刻に死去。最晩年は自作の紙芝居を作成することにも意欲を見せ、病床で絵を描き続けた〔。死から2か月後の11月7日、岩田を追悼する会が開かれた〔。 抄文引用元・出典: フリー百科事典『 ウィキペディア(Wikipedia)』 ■ウィキペディアで「岩田昭弘」の詳細全文を読む スポンサード リンク
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