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岸 一郎(きし いちろう、1894年10月13日(明治27年) - 没年不明)は、日本の野球選手・監督。福井県敦賀市出身。 == 来歴・人物 == 旧制早稲田中学(現・早稲田中学・高校)、早稲田大学、満鉄と一貫してエースを務めてきた。後に台湾に渡り、満鉄の関連会社に勤務する。戦後は兵庫県立神戸高等商業学校の監督を1年務めた。 1955年、試合中の不祥事の責任を取って退団した松木謙治郎監督の後任として、大阪タイガース監督に就任。中央球界で全く無名であったため世間を驚かせた。岸起用の経緯については諸説あるが、上田賢一の『猛虎伝説』(集英社新書、2001年)によると、野田誠三オーナーが所用で運輸省を訪れた際、雑談として次期監督を探していると話したところ、岸を紹介され、断り切れなかったとされる(毎試合のように球団に投書を送り指南をしていたところ、目をつけられたという説もある)〔「Sports Graphic Number」文藝春秋、2011年7月21日号、p45〕。 監督に就任した岸は、意欲的に戦力の新旧交替に着手していった。投手陣では衰えの見え始めていた真田重蔵・藤村隆男・梶岡忠義に代えて、若手の渡辺省三・大崎三男・西村一孔・小山正明を起用し、先発ローテーション制を導入した。また野手では投手から転向した田宮謙次郎を4番に据え、サードに若手の三宅秀史を抜擢した。 しかし、藤村富美男が試合中に公然と監督命令に逆らう(岸監督が出塁した藤村に代走を送ったところ、「まだ回が早いから」と代走に起用された選手をベンチに追い返した)など、ベテラン勢からの反発に遭った。真田重蔵は後年の取材に「30歳以下の選手しか使わん、得意の球を若い者に教えてやってくれと言われて冗談ではないと思った」と述べている〔南萬満『真虎伝』新評論、1996年、P202 - 203〕。これに対し、奥井成一は「若い者しか使わないと言ったのではなく、調子のいい者を使っていくと言った」という〔『真虎伝』P207〕。対巨人戦9連敗が響き、33試合目を終えたところで、5月21日に病気療養の名目で休養〔「技術顧問」の肩書きが与えられた。〕。藤村が後任(選手兼任)となった。 岸に関しては、その後揶揄的に取り上げられることが多かったが、起用した若手選手たちは、みな球界で何らかの足跡を残した選手たちばかりであった(ちなみに、同年新人王に輝いた西村一孔がたった4年で現役引退せざるを得なかったのは、後任の藤村監督がローテーションの概念を無視して酷使したためといわれている)。 抄文引用元・出典: フリー百科事典『 ウィキペディア(Wikipedia)』 ■ウィキペディアで「岸一郎」の詳細全文を読む スポンサード リンク
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