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岸本 佐知子(きしもと さちこ、1960年(昭和35年)2月25日 - )は、神奈川県横浜市出身の翻訳家、エッセイスト、アンソロジスト。 ==経歴== 兵庫県出身の会社員の娘として東京都世田谷区の社宅に育つ。小学校から中学校にかけての愛読書は中勘助『銀の匙』と志賀直哉『小僧の神様』とジュール・ルナール『にんじん』(岸田國士訳)の3冊だった〔『灯台守の話』刊行記念 岸本佐知子さん・清岡智比古さんトークショー 5/7 白水社公式サイト〕。 女子学院中学校在学中、夏休みの英語の宿題で英語の絵本を一冊訳し上げて教師に大変褒められたことが後の翻訳への興味につながったという。また中学3年生のとき筒井康隆の作品を知り、「読む前と後とで人生が変わるくらいの衝撃」を受けた〔 『灯台守の話』刊行記念 岸本佐知子さん・清岡智比古さんトークショー 7/7 白水社公式サイト〕。 女子学院高等学校を経て1978年に上智大学文学部英文科入学。大学在学中に別宮貞徳のゼミで英文の翻訳を学ぶ〔上智大学文学部英文学科 〕。卒論のテーマはリチャード・ブローティガン〔後年、「翻訳家を志すきっかけとなった本」を問われた際にはブローティガンの『西瓜糖の日々』(藤本和子訳、河出書房新社)を挙げ、「学生時代にこの本と出会っていなかったら、今ごろはまちがいなく別の人生を送っていたでしょう」と述べている(岩波書店編集部編『翻訳家の仕事』巻末執筆者紹介p.5、岩波新書、2006年)。〕。 1981年に大学を卒業してサントリーに入社、宣伝部に勤務。しかし「とにかくOLの仕事が向いていなくて、あるとき仕事をほとんど取り上げられてしま」い〔メールマガジン『Tra-maga』 文芸翻訳家 岸本佐知子氏 翻訳学校 フェロー・アカデミー〕、急に余暇が増えたため、勤務帰りに週1回、翻訳学校で英文翻訳を学び直す。 6年半のサントリー勤務を経て退社後、翻訳家として独立。海外の先鋭的な小説作品の翻訳を行い、特にスティーヴン・ミルハウザー、ニコルソン・ベイカーの翻訳で広く知られるようになる。現在は「岸本の翻訳作」ということで、その作品・作者が「海外文学愛好家」にアピールする存在である。なお、中田耕治を翻訳の師匠と呼んでいる〔新元良一『翻訳文学ブックカフェ』(本の雑誌社、2004年)〕。 また、『翻訳の世界』編集部にいる友人の依頼で同誌に奇妙な味わいのエッセイを連載、このエッセイは翻訳の技術等に関わる内容ではなかったため一部の読者から苦情の投書を受けたが柴田元幸に高く評価される〔新元良一『翻訳文学ブックカフェ』(本の雑誌社、2004年)〕。同誌に連載された文章を含む第一エッセイ集『気になる部分』を2000年9月に白水社より刊行。 『ちくま』に連載されたエッセイ「ネにもつタイプ」をまとためた第二エッセイ集『ねにもつタイプ』(筑摩書房)が、2007年の第23回講談社エッセイ賞を受賞。2012年11月、第三エッセイ集『なんらかの事情』を刊行。 現在も『ちくま』に上記エッセイ「ネにもつタイプ」を連載中。川上弘美、小川洋子、北村薫を愛読者に持つ〔担当編集者は知っている。 ほぼ日刊イトイ新聞〕。 2013年、第19回野間文芸翻訳賞選考委員 2014年、講談社エッセイ賞選考委員。 2015年、第一回日本翻訳大賞選考委員。 抄文引用元・出典: フリー百科事典『 ウィキペディア(Wikipedia)』 ■ウィキペディアで「岸本佐知子」の詳細全文を読む スポンサード リンク
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