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岸 松雄(きし まつお、1906年9月18日 - 1985年8月17日〔岸松雄 、『講談社 日本人名大辞典』、講談社、コトバンク、2010年1月22日閲覧。〕)は、日本の映画評論家、ジャーナリスト、脚本家、映画監督である。本名は阿字 周一郎(あじ しゅういちろう)〔、別名は和田山 滋(わだやま しげる)〔岸松雄と1930年代映画批評の隘路 - 批判的な評伝 、大澤浄、京都大学、2010年1月22日閲覧。〕。映画作家・山中貞雄を発見した批評家として知られる〔。 == 人物・来歴 == 1906年(明治39年)9月18日、東京府東京市日本橋区(現在の東京都中央区日本橋)の商家に「阿字周一郎」として生まれる〔〔。 慶應義塾大学に入学、同学在籍中の1925年(大正14年)ころには『キネマ旬報』、『映画往来』、『映画評論』、『映画時代』、『蒲田』(松竹蒲田撮影所の雑誌)等の雑誌の執筆者となる〔。やがて同学を卒業する〔。1927年(昭和2年)から1931年(昭和6年)までの時期、社会主義的言説に耽溺する〔。 1932年(昭和7年)、『キネマ旬報』2月21日号誌上で、「和田山滋」名義で連載していた「日本映画批評」に、脚本家・助監督であった山中貞雄が同年発表した監督デビュー作『磯の源太 抱寝の長脇差』をめぐり、「山中貞雄という一人の傑れたる監督をば新しく発見し得た」〔「日本映画批評」、和田山滋(岸松雄)、『キネマ旬報』1932年2月21日号掲載、p.72.〕と書き、絶賛した〔。岸のこの批評が後の山中の評価を決定づけるに至る〔。 1937年(昭和12年)、映画監督の清水宏の強い勧めを受け、成瀬巳喜男、山中貞雄らに相談しつつ、同年3月、キネマ旬報社を退職し、滝沢英輔の在籍する東宝映画に入社し、満30歳にして助監督となる〔。成瀬、山中らの助監督を務めた翌年の1938年(昭和13年)、小崎政房の脚本を得て、東宝映画京都撮影所が製作する映画『風車』で映画監督としてデビューする〔〔風車 、日本映画データベース、2010年1月22日閲覧。〕。監督作は以降は手がけず、脚本家として多くのシナリオを手がけた〔。 第二次世界大戦後は、新東宝の設立に参加し、脚本家として活動した〔。その傍ら、1950年代後半からは、俳優・映画監督等の映画人の評伝を執筆した〔。 1985年(昭和60年)8月17日、死去した〔。満78歳没。 抄文引用元・出典: フリー百科事典『 ウィキペディア(Wikipedia)』 ■ウィキペディアで「岸松雄」の詳細全文を読む スポンサード リンク
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