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岸田 忠氏(きしだ ただうじ、? - 元和元年12月2日(1616年1月20日))は、安土桃山時代から江戸時代初期にかけての武将・大名。大和国岸田領主。晴澄とも。伯耆守。 == 生涯 == はじめ大和国の戦国大名・筒井順慶に仕え、2,000石を領したが、筒井氏が伊賀へ転封となると、大和を治めた豊臣秀長や養子の豊臣秀保に仕えた。 秀保の死後は豊臣秀吉の家臣となり、大和国山辺郡岸田1万石を賜る。慶長5年(1600年)の関ヶ原の戦いでは石田三成方に属し、豊臣秀頼配下の黄母衣衆として織田信高、伊藤盛正らと小西行長の陣営に加わり戦ったが敗れたため、改易となり、慶長6年(1601年)11月に盛岡藩主・南部利直に預けられた。 元和元年(1616年)に死去し、光林寺(現・石鳥谷町)に葬られた。齢70余。子孫は盛岡藩士として存続した。 抄文引用元・出典: フリー百科事典『 ウィキペディア(Wikipedia)』 ■ウィキペディアで「岸田忠氏」の詳細全文を読む スポンサード リンク
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