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岸田 正記(きしだ まさき、1895年(明治28年)12月1日〔衆議院『第五十五回帝国議会衆議院議員名簿』〈衆議院公報附録〉、1928年、26頁。〕 – 1961年(昭和36年)6月3日)は、日本の実業家、政治家。元衆議院議員。元幾久屋百貨店主。 元衆議院議員岸田文武の父。元広島県知事宮澤弘(元首相宮澤喜一の実弟)の岳父。元科学技術庁長官岩動道行は妻・和子のいとこ〔神一行著『閨閥 改訂新版 特権階級の盛衰の系譜』211頁〕。衆議院議員岸田文雄・衆議院議員宮澤洋一などは孫。 == 経歴 == 広島県出身〔『政治家人名事典』170頁〕。岸田幾太郎の長男〔猪野三郎監修『第十版 大衆人事録』(昭和9年)キ・四五頁〕。 京都帝国大学法学部卒業〔。在学中の1922年高等文官試験行政科合格〔『廣島縣紳士録』昭和八年版、八四頁〕。 先代経営の貸家業を継ぎ1933年幾久屋百貨店を創立〔猪野三郎監修『第十版 大衆人事録』(昭和9年)キ・七七頁〕。 大連および奉天で不動産業や百貨店経営に従事〔。 1928年に衆議院議員となって、以後6期連続当選、その間第1次近衛内閣の海軍参与官、小磯内閣の海軍政務次官、翼賛政治会国防委員長、自由党総務等を歴任した〔。 戦後、公職追放。追放解除後の1953年に衆議院議員に当選。代議士に復帰し1期務めたほか、幾久屋商事社長、穏田マンション社長を歴任〔。 抄文引用元・出典: フリー百科事典『 ウィキペディア(Wikipedia)』 ■ウィキペディアで「岸田正記」の詳細全文を読む スポンサード リンク
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