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岸田 秀(きしだ しゅう 1933年12月25日-)は、日本の心理学者、精神分析学者、思想家、エッセイスト、和光大学名誉教授。主著に『ものぐさ精神分析』。翻訳書も多数著している。新しい歴史教科書をつくる会の賛同者として、産経新聞にコメントを寄せたことがある。妻の由美は、文化人類学者の船曳建夫の実姉。 == 年譜 == 香川県善通寺町(現・善通寺市)に生まれる〔『ものぐさ精神分析』中公文庫、404頁。〕。1946年、香川県尋常中学校(旧制)に入学。1948年、学制改革により同中学校は香川県立丸亀高等学校となる。中学、高校時代は友人と新体詩をつくることに熱中する〔新体詩を共につくった友人は筆跡学研究者の森岡恒舟(本名:森岡博史)。このときのことは『ものぐさ精神分析』に収録された「詩人のなりそこね」に詳しい。〕。1952年3月、丸亀高校を卒業〔『絞り出し ものぐさ精神分析』青土社、2014年5月30日、239-240頁。〕。1956年3月、早稲田大学文学部心理学科を卒業。1959年、同大学大学院修士課程修了。その後、ストラスブール大学大学院留学。岸田の弁によれば、同大学院を「卒業」したと思っていたが博士号取得の有無を確認していないという。 1972年、和光大学助教授に就任。1976年、同大学教授に就任。2004年、同大学を定年退職〔『絞り出し ものぐさ精神分析』前掲書、259頁。〕。 雑誌『現代思想』『ユリイカ』によって思想界にデビュー。1977年に上梓した『ものぐさ精神分析』はベストセラーとなり話題となる。柄谷行人も岸田の理論に注目することとなる。岸田の理論を信奉した伊丹十三は1981年に岸田をメインにすえた思想雑誌『モノンクル』(朝日出版社)を創刊した。 1980年代に到来する「ニュー・アカデミズム」の先駆とでもよべる人物である。なお、学者・研究者としてどの学会にも属していない。 抄文引用元・出典: フリー百科事典『 ウィキペディア(Wikipedia)』 ■ウィキペディアで「岸田秀」の詳細全文を読む スポンサード リンク
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