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岸 輝子(きし てるこ、1905年5月1日〔岸輝子とは - コトバンク 2011年11月13日閲覧〕 - 1990年5月10日〔)は、日本の女優。本名は、伊藤キシ〔。夫に千田是也〔。千田らとともに劇団俳優座の創立に参加したことでも知られる。 == 来歴・人物 == 北海道出身〔。北海高等女学校(現:札幌大谷高等学校)卒業〔。一旦は就職すものの俳優を志し、1925年に築地小劇場に入り〔研究生となる。初舞台は、『寂しき人々』。築地小劇場の分裂を経て、1936年、新築地劇団に入団〔。1940年に弾圧による解散〔法政大学大原社研 戦時中の新劇運動〔日本労働年鑑 特集版 太平洋戦争下の労働運動216〕 2011年11月13日閲覧〕後、1944年2月に青山杉作、千田、東野英治郎、小沢栄太郎、東山千栄子ら10人で劇団俳優座を創立〔俳優座史 - 劇団俳優座 2011年11月13日閲覧〕、以降俳優座の中心女優として活躍し、多くの舞台に立った。『肝っ玉おっ母とその子供たち』はその代表作で、1966年に芸術祭奨励賞を受賞している。1963年に東山千栄子、村瀬幸子、永井智雄らとヨーロッパへ演技研究に出かけている。 舞台のほか映画やテレビドラマでも活躍した。映画デビューは小山内薫監督の『黎明』(未公開)。戦後から本格的に活動し、黒澤明監督の『野良犬』や山本薩夫監督の『荷車の歌』などに出演、個性的な脇役として知られた。特に母親役や老け役で名演を残した。 その一方で、福祉活動や反戦運動にも尽力している。1962年10月19日に結成された「新日本婦人の会」の創立に当たり、32人のよびかけ人のうちの1人として平塚らいてうらとともに名を連ねた〔新婦人ってなあに? - 新日本婦人の会 2011年11月20日閲覧〕。 私生活では、東屋三郎と結婚するも、1935年に死別。1940年に千田と同棲、同年新劇人に対する大がかりな弾圧がおこなわれ〔、千田は逮捕・投獄されるが1942年に出所、同年千田と結婚〔した。 1990年5月10日死去、〔。 抄文引用元・出典: フリー百科事典『 ウィキペディア(Wikipedia)』 ■ウィキペディアで「岸輝子」の詳細全文を読む スポンサード リンク
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