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岸部 四郎(きしべ しろう、1949年(昭和24年)6月7日 - )は、日本のタレント、俳優、元実業家。旧芸名は岸部シロー(1990年代半ばごろまで使っていたが、後述の経緯により2000年代中期頃より再び使うようになっている)。元ザ・タイガースのメンバー。 京都府京都市出身。父は元憲兵。兄は同じくタイガースのメンバーであった岸部一徳。甥に一徳の長男である岸部大輔がいる。京都市立近衛中学校卒業。 == 来歴・人物 == === ザ・タイガース時代 === 中学卒業後に印刷会社へ就職。後に退職しバンドボーイとなる。タイガースのデビュー後にしばらく音楽面でのアドバイザーを務めた後、メンバーと渡辺プロダクションの援助で1968年(昭和43年)7月アメリカへ渡り、留学の名目で『ミュージック・ライフ』の音楽特派員として活動。1969年(昭和44年)3月、タイガースから加橋かつみが脱退したため、兄・一徳からの電話によって呼び戻され、新メンバーとなる。加橋の後釜としてギター〔ファンよりマーティン製のアコースティックギターをプレゼントされた。〕を担当するも、加入当初は実際には弾けず、弾く真似をしていた。また、タンバリンを演奏〔但し音が出ない様にシンバル部をガムテープで留めて細工〕したり、加橋のヴォーカルパートを引き継ぐ。岸部の加入により、タイガースもユニフォームの常時着用をやめ、ステージのレパートリーではフォークソングやハードロックを取り入れるなど積極的にイメージチェンジを図り、それまでの「白馬に乗った王子様」的なアイドルのイメージより徐々に脱却。敢えて積極的に近畿方言を話し、また当時のアイドルではタブーとされていたメガネを着用、そして司会を担当したステージでは軽快なトークを披露することで次第に好評を得た岸部は、その気さくなキャラクター性が受け入れられ単独でのTV出演をも果たす。ステージでは主に『花の首飾り』『ホリデイ』などそれまで加橋がソロを担当していた曲に加え、ドノヴァンなどのフォークソングも得意とした。また1970年(昭和45年)には岸部一徳とのユニット「サリー&シロー」名義でもアルバムを発表。この頃には、ある程度のリズムギターおよびタンバリンをこなせるようになっており、1970年(昭和45年)8月22日の田園コロシアムに於けるコンサートや、1971年(昭和46年)1月24日の日本武道館に於ける解散公演では、実際に演奏しているのが映像から確認できる。 抄文引用元・出典: フリー百科事典『 ウィキペディア(Wikipedia)』 ■ウィキペディアで「岸部四郎」の詳細全文を読む 英語版ウィキペディアに対照対訳語「 Shiro Kishibe 」があります。 スポンサード リンク
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