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嶋 基宏(しま もとひろ、1984年12月13日 - )は、東北楽天ゴールデンイーグルスに所属するプロ野球選手(捕手)。労働組合日本プロ野球選手会第8代会長(現職)。 == 経歴 == === プロ入り前 === 現在の岐阜県海津市出身。海津市立吉里小学校1年から「吉里少年団」で投手として野球を始め、海津市立日新中学校では軟式野球部に所属して2年時に第20回全国中学校軟式野球大会に出場し、3年時には主将を務めた。子供のころから中日ドラゴンズのファンだった〔野球浪漫 嶋基宏『週刊ベースボール』2011年12月5日号、ベースボール・マガジン社、2011年、雑誌20442-12/5, 54-57頁。 〕。小学生の頃から成績優秀、運動神経抜群で、テレビでも取り上げられた(情熱大陸にて)。 中京大中京高校では1年秋からベンチ入りし、上級生が引退した後は主将となり秋季東海大会で優勝。明治神宮大会ベスト4。3年春の第74回選抜高等学校野球大会に二塁手として出場。1回戦で西村健太朗、白濱裕太らを擁する広陵高校と対戦し初戦敗退。夏は愛知大会決勝で東邦高校に敗れ準優勝。野球部の同期には深町亮介がいる。 高校の大藤敏行監督が東都大学野球連盟に所属する國學院大學硬式野球部の竹田利秋監督に推薦し、本人も「野球のためだけではなく教師になりたかったから」という理由で同大学に進学。強肩を見込まれて捕手にコンバートされ〔、1年春からベンチ入りした。2年春のリーグ戦以降正捕手となり、3年時は春季リーグ戦で首位打者を獲得して秋からは主将となった。4年春には二部リーグで優勝してMVPに選出され、入れ替え戦を制して春以来となる一部昇格に貢献。秋の一部リーグ戦では3試合目に左足首を負傷したが、「後輩のためにも絶対に降格は出来ない」と痛み止めを飲まずテーピングのみで出場。チームは優勝争いを演じて3位となり、自身はベストナイン(捕手)に輝く。大学の1年後輩にはプロでも同僚となる聖澤諒がいた。 の大学生・社会人ドラフトで東北楽天ゴールデンイーグルスより3巡目指名を受け入団。野村克也監督が縁起を担いでいる「足して10になる数字」にあやかり背番号は37に決定。入団会見の挨拶では「19(野村監督の現役時代の背番号)が欲しかった」と冗談混じりに発言し、その場で監督から「いい捕手になったら19番を譲る」と約束された。 抄文引用元・出典: フリー百科事典『 ウィキペディア(Wikipedia)』 ■ウィキペディアで「嶋基宏」の詳細全文を読む 英語版ウィキペディアに対照対訳語「 Motohiro Shima 」があります。 スポンサード リンク
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