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島木 赤彦(しまき あかひこ〔島木の読み方について斎藤茂吉は著書「島木赤彦」(角川書店、昭和24年)において「「シマギ」と濁って発音する者、「シマキ」と清音で発音する者の数は相半ばするが、横山重、藤澤古實氏のごとき赤彦直門の士は、「シマキ」と清んで唱えている。」という趣旨の記載をしている(234~239頁)。長野県下諏訪町立赤彦記念館また島木赤彦研究会においては「シマキ」の清音で発音することに統一している(島木赤彦研究会報56号、平成23年)。〕、1876年(明治9年)12月16日 - 1926年(大正15年)3月27日)は、明治・大正時代のアララギ派歌人。本名は久保田俊彦。別号、柿乃村人。 == 生涯 == === おいたち === 1876年(明治9年)12月16日、長野県諏訪郡上諏訪村角間(現諏訪市元町)〔出生地には茅野市説もあり、茅野市豊平下古田公民館の庭には「赤彦生誕地の碑」がある。〕に旧諏訪藩士・塚原浅茅と妻・さいの四男として生まれる。父の浅茅は諏訪藩士として漢学国学を学んだ謹厳実直な人柄で、神官の職などに就いたが、維新後は松本師範講習所に学んで教員となり、諏訪郡豊平村(現・茅野市豊平)の古田学校に勤務したので、赤彦も幼少時代をここで過ごした。生活は貧しかったが、赤彦はこの自然と両親や家族の愛情の下で伸び伸びと育った。 抄文引用元・出典: フリー百科事典『 ウィキペディア(Wikipedia)』 ■ウィキペディアで「島木赤彦」の詳細全文を読む スポンサード リンク
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