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島本 久五郎(しまもと ひさごろう、1895年(明治28年)4月1日 - 1973年(昭和48年)9月15日)は、日本の海軍軍人、最終階級は海軍少将。 == 経歴 == 和歌山県出身〔『日本陸海軍総合事典』「主要陸海軍人の履歴 島本久五郎」〕。島本熊太郎の三男として生れる。和歌山中学校を経て、1916年11月、海軍兵学校(44期)を95名中6番の席次で卒業〔『海軍兵学校沿革』(原書房)、「大正五年十一月二十二日」〕し、翌年12月に海軍少尉任官。海軍潜水学校普通科を卒業し、「第28潜水艦」(呂号第五四潜水艦)に乗り組む。海軍水雷学校高等科で学び、アメリカ駐在、「呂号第五三潜水艦」艦長、第7潜水戦隊参謀、「呂号第二七潜水艦」艦長などを経て、1930年11月、海軍大学校(甲種28期〔『陸海軍将官人事総覧 海軍編』芙蓉書房、195頁〕)を卒業。 「伊号第六〇潜水艦」艦長、第1潜水戦隊参謀、軍令部員(第3部第5課)、練習艦隊参謀、第2艦隊参謀、海大教官、支那方面艦隊先任参謀を歴任した。2度めの海大教官在職中、山本五十六が連合艦隊司令長官に就任し、海軍省人事局は島本をその先任参謀に補職する方針であったが、結局同期の黒島亀人が補職された〔『海軍参謀』152-153頁〕。人事局第1課長在職中は石川信吾を軍務局第2課長に発令することに反対したが、受け入れられなかった〔『四人の軍令部総長』82頁〕。のちに山本が「海軍は石川を甘やかしすぎた」と語った相手が島本である。太平洋戦争開戦時は、第7潜水隊司令であった。 標的艦「摂津」艦長、第6艦隊参謀長などを経て、1943年5月に海軍少将に進級。海上護衛総隊参謀長、同参謀副長、第3南遣艦隊参謀長、兼南西方面艦隊参謀副長を勤め、1947年1月、予備役に編入された。 抄文引用元・出典: フリー百科事典『 ウィキペディア(Wikipedia)』 ■ウィキペディアで「島本久五郎」の詳細全文を読む スポンサード リンク
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