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島津 久徴(しまづ ひさなる、宝暦2年(1752年) - 文化6年9月11日(1809年10月19日))は、薩摩藩(鹿児島藩)家臣、加治木島津家第6代当主。 父は島津久峰。正室は島津久芳の娘。子は島津久照、島津忠厚、雅姫(島津忠持室)。幼名太郎次郎。通称兵庫、飛騨。初名は久容、久憑。 == 略歴 == 宝暦2年(1752年)知覧島津久峰の長男として生まれる。宝暦4年(1754年)先代加治木島津家当主で、従兄弟の島津久方(重豪)が藩主重年の世子となり、当主不在となったため、明和9年(1772年)重豪の義弟として加治木島津家を相続した。天明4年(1784年)長崎より儒学者の伊藤世粛を招き、領内に郷校毓英館を設立する。また、寛政11年(1799年)には江戸より儒学者の秋岡冬日を招いた。寛政12年(1800年)隠居して家督を嫡男久照に譲る。文化5年(1808年)領内の仕置が不届きであるとの理由で、久照共々処分を受ける。処分の真の理由は、藩校造士館に対抗して、毓英館を設立するなどの動きを、藩内の改革派に対抗するものと見られたため。文化6年(1809年)9月11日死去。享年58。 抄文引用元・出典: フリー百科事典『 ウィキペディア(Wikipedia)』 ■ウィキペディアで「島津久徴」の詳細全文を読む スポンサード リンク
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