翻訳と辞書
Words near each other
・ 島津久寧
・ 島津久寶
・ 島津久寿
・ 島津久峰
・ 島津久徳
・ 島津久徳 (加治木家)
・ 島津久徴
・ 島津久房
・ 島津久敬
・ 島津久方
島津久明
・ 島津久本
・ 島津久林
・ 島津久柄
・ 島津久武
・ 島津久武 (壱岐)
・ 島津久武 (旗本)
・ 島津久永
・ 島津久治
・ 島津久照


Dictionary Lists
翻訳と辞書 辞書検索 [ 開発暫定版 ]
スポンサード リンク

島津久明 : ミニ英和和英辞書
島津久明[しまづ ひさあき]
=====================================
〔語彙分解〕的な部分一致の検索結果は以下の通りです。

: [しま]
 【名詞】 1. island 

島津久明 : ウィキペディア日本語版
島津久明[しまづ ひさあき]
島津 久明(しまづ ひさあき、万治2年6月5日1659年7月24日) - 享保2年4月5日1717年5月15日))は、江戸時代中期の薩摩藩士。家格一所持格。薩摩藩主島津光久の十男で島津家分家の島津準次男家の祖。は初め久治(資料により久始とも)、久明、久朗。大抵の史料では島津大蔵久明で知られる。幼名は虎松。通称は虎之丞、式部、大蔵。薩摩藩家老などを勤める。また、吉田、大姶良、福山の地頭を歴任。
禰寝清雄の長女を妻とした関係で、小松家に養子を出すことが多く、小松清香から清猷までの小松家当主は久明の子孫である。小松清宗にいたっては、準次男家の当主でありながら、藩命で隠居して小松家の養子となっている。
また、寛永寺本堂の手伝い普請の際は、舅の禰寝清雄が奉行を、久明が副奉行を務める。
== 年譜 ==

*寛文12年(1672年)6月5日:鹿児島城において元服。
*天和2年(1682年)3月28日:吉田郷地頭〔現在の鹿児島県鹿児島市吉田町〕に就任。
*貞享元年(1684年)10月1日:大姶良郷〔現在の鹿児島県鹿屋市〕地頭に転ず。
*貞享3年(1686年):詰衆となる。
*元禄6年(1693年)11月15日:福山郷地頭に転ず。
*元禄13年(1700年)1月10日:横目頭〔同職は後に大目付と改名される。〕。に就任。
*元禄14年(1701年)10月11日:家老に就任。
*同年10月14日:父の光久の命で本家より分家する。久明の家は準2男家とされた。また、翌月には異母弟の島津久記と島津久房が久明に倣って分家する。
*正徳元年(1711年):一所持格に列される。また、準次男家島津家の次男以下は三崎家と称し、明の字を通字とするように令達される。

抄文引用元・出典: フリー百科事典『 ウィキペディア(Wikipedia)
ウィキペディアで「島津久明」の詳細全文を読む




スポンサード リンク
翻訳と辞書 : 翻訳のためのインターネットリソース

Copyright(C) kotoba.ne.jp 1997-2016. All Rights Reserved.