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島津 久理(しまづ ひさみち)は、江戸時代前期から中期の薩摩藩士。都城私領主である都城島津氏18代当主。 == 生涯== 明暦3年(1657年)、2代薩摩藩主・島津光久の八男として生まれる。寛文10年(1670年)、実兄の都城島津氏17代当主・忠長が継嗣無く26歳で早世したため、島津宗家の命により都城島津氏を相続することとなった。 都城島津氏(北郷氏)の15代当主久直、16代久定及び17代忠長は、いずれも島津宗家からの養子であったが、北郷氏の娘を娶っていた。これに対し、久理の室は入来院領主・入来院重頼の娘であるが、北郷時久の外孫入来院重時の子孫にあたるため、北郷氏側の対面をそれなりに立てる形ではあった。北郷氏の血統を継ぐ男系として、12代当主北郷忠能の庶子久常がいたにもかかわらず、島津宗家から養子が送り込まれたということは、島津宗家により北郷氏に替わって新たに都城島津氏が創設されたという見方もある(『都城市史』)。 貞享2年(1685年)、家老の川上久隆に命じ、関之尾滝上流の岩山を掘り抜く難工事の末、灌漑用の南前用水路を完成させた。 元禄15年(1702年)、家督を長男の久龍に譲り隠居し、香雲と号した。享保12年(1727年)、71歳で死去。龍峰寺に葬られた。 抄文引用元・出典: フリー百科事典『 ウィキペディア(Wikipedia)』 ■ウィキペディアで「島津久理」の詳細全文を読む スポンサード リンク
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