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島津久福 : ミニ英和和英辞書
島津久福[しまづ ひさとみ]
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〔語彙分解〕的な部分一致の検索結果は以下の通りです。

: [しま]
 【名詞】 1. island 
: [ふく]
 【名詞】 1. good fortune 

島津久福 : ウィキペディア日本語版
島津久福[しまづ ひさとみ]

島津 久福(しまづ ひさとみ)は、幕末薩摩藩家老。島津氏分家の知覧島津家第21代当主、家格は一所持で佐多・知覧を所領した。
== 生涯 ==
文化10年(1813年)、父・久典が讒言を受けて隠居させられると、翌年にその跡を継いだ。天保5年(1834年)に江戸へ参勤し、2年あまり在府した。嘉永4年(1851年)若年寄に抜擢され、嘉永6年(1853年ペリー来航の際には藩主斉彬の命で再び江戸へ出府し、その後3年の間勤務した。安政3年(1856年)家老に就任。斉彬の養女篤姫右大臣近衛忠煕の養女となる際に、表立って名前が見える。安政5年(1858年)に斉彬が没すると、幕府への報告の使者を務めている。その後は後継の茂久にも引き続き仕え、安政6年(1859年)には御軍役掛に就任したが、文久3年(1865年)家老職を辞した。また、この頃に嫡男の久徴に家督を譲っている。

抄文引用元・出典: フリー百科事典『 ウィキペディア(Wikipedia)
ウィキペディアで「島津久福」の詳細全文を読む




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