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島津 久逵(しまづ ひさみち)は、薩摩藩(鹿児島藩)の家臣、知覧島津家(佐多氏)第16代当主。 == 生涯 == 慶安4年(1651年)、藩主島津光久の五男として生まれる。初めは旗本伊勢貞衛の養子となり貞朝と名乗る。寛文6年(1666年)4月、将軍徳川家綱に御目見する。寛文12年(1672年)養父に実子貞守が生まれたことにより実家に戻り、改めて佐多丹波久利の養子となる。知覧地頭職となり領主と兼任する。 延宝4年(1676年)、城代となる。延宝5年(1677年)、頴娃地頭職。延宝8年(1680年)、城代と国老を兼任し職田2000石を賜る。加世田地頭職となる。元禄6年(1693年)、藩主島津綱貴の参勤に随行して、江戸に下り江戸城で将軍徳川綱吉に拝謁する。元禄10年(1697年)、国老を免じられ城代に専任する。職田2000石はそのまま給された。 正徳元年(1711年)、藩主島津吉貴より、島津氏を代々名乗ることを許された。享保3年(1718年)、隠居して次男の久武(久豪)に家督を譲る。光久、綱貴、吉貴の3代に城代として仕えた功績を賞されて、年100俵を給された。翌享保4年(1719年)7月5日死去、享年69。 抄文引用元・出典: フリー百科事典『 ウィキペディア(Wikipedia)』 ■ウィキペディアで「島津久逵」の詳細全文を読む スポンサード リンク
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