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島 清興(しま きよおき)は、戦国時代から安土桃山時代の武将。筒井氏、石田三成の家臣。通称は左近で、一般には島 左近(しま さこん)の名で広く知られる。本項目でも特に断りが無い限り「左近」と記す。実名は俗に勝猛(かつたけ)などともいうが、文書から確かなのは清興である〔『根岸文書』には清興と記した自筆の書状が残っている。また天正5年(1577年)に左近本人が春日大社に奉納したという石灯籠にも「嶋左近烝清興」と刻まれている〕。 三成に三顧の礼をもって迎えられ破格の高禄を食む側近として仕え、「治部少(三成)に過ぎたるものが二つあり 島の左近と佐和山の城」と謳われるほどの逸材だった(『古今武家盛衰記』)。 娘の珠は柳生利厳の継室となっており、剣豪として名高い柳生厳包は左近の外孫にあたる。 == 生涯 == === 出自 === 島氏〔左近本人や石田三成の書状では「嶋左近」「嶋殿」とあり、「嶋」の字を用いている〕は今の奈良県生駒郡平群町周辺の在地領主で、椿井城・西宮城を本拠にしていたという。 島氏の出自は明らかでないが、本姓は藤原姓であるという。また、清興の出身を対馬国とする説もあったが、現在では大和国出身であることが明らかとなっている。なお、近年では「島左近」は筒井氏家臣である島氏代々の名乗りとする説もある〔「島左近友保(清興の父:編者注)は藤原姓、對馬の人にて、筒井氏に仕へ、一萬石を領す」(『大日本野史』)〕。 抄文引用元・出典: フリー百科事典『 ウィキペディア(Wikipedia)』 ■ウィキペディアで「島清興」の詳細全文を読む スポンサード リンク
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