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島谷 金二(しまたに きんじ、1945年1月23日 - )は、香川県高松市出身の元プロ野球選手(内野手)。 == 来歴・人物 == 高松商業高校では、三番打者、遊撃手として1962年の全国高等学校野球選手権大会北四国予選決勝に進出。しかし西条高の石川洵投手(立大-鐘紡)、村上公康捕手のバッテリーに抑えられ敗退、甲子園出場を逸する。卒業後は四国電力に進み、都市対抗野球大会に4年連続出場。四国電力在籍中に、サンケイスワローズ、東映フライヤーズ、東京オリオンズと3度ドラフト指名されながら入団拒否。4度目の指名となったのドラフト9位で中日ドラゴンズへ入団。ドラフト4回指名された選手は藤沢公也の5回指名に次ぐ日本プロ野球歴代2位記録。 四国電力時代は二塁手だったが、高校の先輩である監督の水原茂に見出され、三塁手へ転向。1年目のからレギュラーに抜擢され、125試合に出場。守備は優れていたが、三振が非常に多くとも度重なる起用に応え、打撃も向上し、には21本塁打を記録。には、中日の20年ぶり2度目となるセントラル・リーグ優勝に貢献。優勝を決めるウイニングボール(山下大輔のサードライナー)を捕球したのが島谷であった。 には130試合フル出場、ダイヤモンドグラブ賞獲得。しかし、オフ、黄金時代を築いていた阪急ブレーブスにとって一番の懸案事項であった長池徳士の衰えで、加藤英司と共に主軸を任せられる打者が欲しかった上田利治監督の強い要望により、戸田善紀、森本潔、大石弥太郎、小松健二との3対4の大型トレードにより、稲葉光雄、大隅正人と共に阪急へ移籍。 4番を任され、は打率.325でリーグ2位、、はベストナイン、ダイヤモンドグラブ賞を受賞。1979年には.312、102打点を記録。ここでも1977年、1978年のリーグ優勝に貢献。しかし、松永浩美にサードのレギュラーを奪われるようになり、オフ、チームの若返り方針により、引退勧告を受け現役引退。 引退後はからまで阪急の二軍野手総合コーチを務めた〔『阪急ブレーブス黄金の歴史 よみがえる勇者の記憶 1936-1988』ベースボール・マガジン社、2011年、P129〕後、に中日へ復帰。まで一軍打撃コーチを務め、のリーグ優勝に貢献。仁村徹・川又米利・立浪和義・大豊泰昭を育てた。からまでスカウト、からまで二軍監督、1995年調査役、1996年からまで二軍打撃コーチ、その後は編成部スカウト部長、四国地区担当スカウトを経て、情報提供業務担当を務める。 抄文引用元・出典: フリー百科事典『 ウィキペディア(Wikipedia)』 ■ウィキペディアで「島谷金二」の詳細全文を読む スポンサード リンク
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