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崇宗 ( リダイレクト:崇宗 (西夏) ) : ウィキペディア日本語版 | 崇宗 (西夏)[すうそう]
崇宗(すうそう)は西夏の第4代皇帝。中興の英主として評価されている。 == 生涯 == 父恵宗の急死により、わずか3歳で即位。当初は先代に続いて祖母の梁太后が実権を掌握し、その専横による弊害で政治腐敗が進んだ。さらに軍事力も衰退し、北宋が機に乗じて国内に侵入、西夏軍は敗退している。永安2年(1099年)に16歳で親政を始めると、梁氏一族を誅殺。また官僚制度を整備、賦役を軽減するとともに、農業振興として水利事業に着手するなどの改革を行い、西夏の国力を充実させ、経済的、政治的にも大いに発展した。 またこの時期は北宋、遼の衰退期であり、崇宗は遼と同盟を結んで宋へ侵攻、その版図を拡大し、また金の攻撃を受けた遼の天祚帝が亡命を求めた際には、この要求を拒絶し、金と協力して遼を滅亡させ、河西千余里の地を領域に組み込むなど、外交的にも大きな功績を挙げた。 在位54年で崩御した。
抄文引用元・出典: フリー百科事典『 ウィキペディア(Wikipedia)』 ■ウィキペディアで「崇宗 (西夏)」の詳細全文を読む
英語版ウィキペディアに対照対訳語「 Emperor Chongzong of Western Xia 」があります。
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