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== 沿革 == 李朝末期の1897年、キリスト教長老派の米国人宣教師W.M.Bairdが平壌に設立した崇実学堂(スンシルハクタン)に始まる。1900年に4年制中学校となり、1906年、韓国福音主義宣教連合公議会を母体として朝鮮半島で唯一の4年制大学連合崇実大学が発足。1910年の日韓併合後、私立学校令により崇実専門学校と改称する。平壌を拠点としたミッションスクールは崇実中学校、崇義女学校をあわせて「三崇」と呼ばれた。 三・一独立運動を受けて朝鮮総督府が文化統治に移行した1920年代には、ミッションスクールに対する教育同化政策がすすめられた。特に崇実では朝鮮人に対する反日的教育が問題視され、1925年には神社参拝の「踏み絵」が強要されたが、多くのミッションスクールはこれを拒否した。〔神社参拝を巡って、三育学院などの平壌は足並みを揃えて参拝拒否を表明したが、京城では逆に神社参拝を受け入れ、総督府の政策に迎合する宣教師が相次いだ。この差異が大学の命運を分けたといえる。〕1936年には米本国の海外宣教部が総督府の宗教政策に反対してミッションスクールの閉校を決定(教育引退)。1938年3月、崇実最後の卒業生を送り出して閉校となった〔旧・崇実専門学校の設備は、1939年設立の大同工業専門学校(1944年、平壌工業専門学校と改称)に引き継がれた。工専は1946年10月に金日成大学に統合された。参照:nate.com 大同工業専門学校の項(韓国語) 。〕。 1945年の植民地支配解放後、崇実大学の再建が計画されたが、朝鮮戦争の混乱で挫折。漸く1953年にソウル永楽教会において崇実大学再建期成会、崇実大学財団が組職され、1954年、閉校から16年ぶりに崇実大学が再建された。当初は永楽教会内部に臨時教室を置いたが、1957年、現在地のソウル市内銅雀区上道洞に土地を取得し本格的な再開が軌道に乗った。 1971年、共にミッションスクールであった崇実大学と大田大学(現在の大田大学校とは異なる)を統合し崇田大学校と改称。同年12月に大学校に昇格。1983年、再び2校は分離し、1987年の開校90周年に際して崇実大学校の名称に落ち着いた〔旧・大田大学の方は韓南大学校となった。〕。 2011年4月現在、同校は学部課程に9単科大学、29学科、10学部、一般大学院に40学科(修士・博士課程設置36学科+修士課程設置4学科)、特殊大学院に6大学院41学科(専攻)を開設している。そして、全体教員数は専任教員454人を含めて1,053人に及び、在籍学生数は学部に20,258人、一般大学院に1,759人、特殊大学院に1,248人である。2007年には開校110周年を迎えた。 〔 抄文引用元・出典: フリー百科事典『 ウィキペディア(Wikipedia)』 ■ウィキペディアで「崇実大学校」の詳細全文を読む スポンサード リンク
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