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崇峻天皇(すしゅんてんのう、欽明天皇14年(553年?) - 崇峻天皇5年11月3日(ユリウス暦592年12月12日?))は、第32代天皇(在位:用明天皇2年8月2日(587年9月9日?) - 崇峻天皇5年11月3日(592年12月12日?))。諱は泊瀬部(はつせべ)、即位前は泊瀬部皇子(はつせべのみこ)と称した。『古事記』には長谷部若雀天皇(はつせべのわかささぎのすめらみこと)とある〔『古事記』崇峻天皇段に、「弟(おと)、長谷部(はつせべ)の若雀(わかささぎ)天皇、倉橋(くらはし)の柴垣(しばかき)宮に坐しまして、天の下治らしめすこと、四歳(よとせ)なりき。(分注、壬子の年の十一月十三日に崩りたましき。)御陵は倉橋の岡の上にあり」とある。倉橋の柴垣宮は、奈良県磯城郡。 〕。 == 系譜 == 欽明天皇の第12皇子。母は蘇我稲目の女・小姉君で、敏達天皇、用明天皇、推古天皇の異母弟にあたる。 * 妃:小手子(大伴糠手子の女) * 蜂子皇子(波知乃子王、羽黒山の伝承では出羽三山開祖・能除大師と同一とされる) * 錦代皇女(にしきてのひめみこ) * 嬪:河上娘(蘇我馬子宿禰の女) * 夫人:布都姫(ふつひめ、物部守屋の妹。先代旧事本紀に拠る) * 母不明 * 定世親王(さだよのしんのう、蜂子皇子の兄。近江国中原氏の祖先だという) 抄文引用元・出典: フリー百科事典『 ウィキペディア(Wikipedia)』 ■ウィキペディアで「崇峻天皇」の詳細全文を読む 英語版ウィキペディアに対照対訳語「 Emperor Sushun 」があります。 スポンサード リンク
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