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崔コウ : ウィキペディア日本語版
崔コウ[さい こう]

崔 顥(さい こう、? - 754年)は、中国の詩人。汴州(現・河南省開封市)の人。
== 略歴 ==
若い頃は素行が悪く、博打や酒に溺れ、美人を選んでは妻とするが飽きるとすぐ離縁し、4、5回も妻を変えたという。江南の各地を旅した後、723年開元11年)に進士に及第。若い頃は軽薄で浮艶な詩を詠んだが、開元年間の後期、太原(現山西省太原市)の河東節度使の幕僚となる。この時の辺境での経験から、気骨に富む作風へ変わった。天宝年間の始めごろ、太僕寺の丞となり、尚書省吏部司勲員外郎(従六品上)に至り、754年(天宝13載)に死去。
中唐の頃になると、南朝から初唐の華麗な詩風が批判され、古体詩を模範とし詩歌に爽朗剛健な風格を求める風潮が強まったが、唐の天宝期の文学者、殷璠は『河岳英霊集』において、崔顥を評して「晩年になって突然詩体を変え、風骨がはっきりとあらわれた」と書いている。
代表作の「黄鶴楼」は唐代七言律詩の最高峰として評価されている。後に李白が黄鶴楼に登ったとき、楼壁に書かれたこの詩を読み、「これ以上の詩は作れない」と言ったと伝わる。 なお李白には、後にこの崔顥の「黄鶴楼」を意識して詠んだ「登金陵鳳凰臺」(金陵の鳳凰臺に登る)という七言律詩があり興味深い。

抄文引用元・出典: フリー百科事典『 ウィキペディア(Wikipedia)
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