翻訳と辞書
Words near each other
・ 崔仁 (軍人)
・ 崔仁勲
・ 崔仁栄
・ 崔仁洙
・ 崔仁浩
・ 崔休
・ 崔伯謙
・ 崔俊蓆
・ 崔信明
・ 崔健
崔僧淵
・ 崔允
・ 崔元翰
・ 崔光
・ 崔兌旭
・ 崔劼
・ 崔勇
・ 崔勇進
・ 崔勉
・ 崔勝鎬


Dictionary Lists
翻訳と辞書 辞書検索 [ 開発暫定版 ]
スポンサード リンク

崔僧淵 : ミニ英和和英辞書
崔僧淵[さい そうえん]
=====================================
〔語彙分解〕的な部分一致の検索結果は以下の通りです。

: [そう]
 【名詞】 1. monk 2. priest 
: [ふち]
 【名詞】 1. deep pool 2. abyss 3. the depths 

崔僧淵 : ウィキペディア日本語版
崔僧淵[さい そうえん]
崔僧淵(さい そうえん、生没年不詳)は、中国南北朝時代官僚軍人本貫清河郡東武城県。『北史』では、避諱により名を僧深と書かれる。
== 経歴 ==
崔目連の子として生まれた。467年皇興元年)、北魏慕容白曜が歴城を包囲すると、僧淵は叔父の崔道固の下で城内にあった。歴城が陥落し、兄弟たちとともに北魏に入り、薄骨律鎮に移された。太和初年、平城に入ることができた。文学や仏教経典の識見を買われて、孝文帝と談論して喜ばれた。後に尚書儀曹郎となった。洛陽遷都の後に、青州中正となった。まもなく広陵王元羽の下で征東諮議参軍となり、顕武将軍の号を加えられた。海賊を黄郭で討ち、これを撃破した。明帝は族兄の崔恵景に信書を送らせて、北魏入国の不正を咎めさせたが、僧淵は返書してこれに反論した。龍驤将軍・南青州刺史として出向した。後に独断で軍を出動させた罪に問われて幽閉されたが、赦免された。70数歳で死去した。

抄文引用元・出典: フリー百科事典『 ウィキペディア(Wikipedia)
ウィキペディアで「崔僧淵」の詳細全文を読む




スポンサード リンク
翻訳と辞書 : 翻訳のためのインターネットリソース

Copyright(C) kotoba.ne.jp 1997-2016. All Rights Reserved.