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崔 慶禄(チェ・ギョンロク、)は大韓民国の軍人、外交官、政治家。 == 経歴 == 1920年9月、忠清北道陰城に生まれる。1938年、日本陸軍に志願(志願兵1期)。歩兵第78連隊で下士官候補生試験に合格した後、陸軍士官学校の試験にも合格した。入校待機状態である途中、南方に送られニューギニアの戦いを経験した〔。1944年、豊橋予備士官学校を卒業して少尉に任官。 1946年1月、軍事英語学校卒業、任少尉(軍番10011番)。第1連隊の創設に参与し、同連隊A中隊(中隊長:蔡秉徳大尉)小隊長。 1948年6月21日、第11連隊長となり済州島に赴任した。1950年6月、朝鮮戦争が勃発すると臨津江の戦闘で勇戦した。同年7月、首都師団参謀長。1951年、憲兵司令官。1952年、国防部第1局長。1953年、アメリカ陸軍指揮幕僚大学卒業。 1955年第2軍副司令官。1958年、国防大学院卒業。1959年、国防大学院院長。1960年、参謀次長。同年4月に起きた四月革命では宋堯讃戒厳司令官の発砲命令に対して中断するように命じた〔。同年5月に許政は、崔を陸軍参謀総長に採用しようとしたが、張勉と縁があった崔は陸軍参謀総長を遠慮した〔。しかし張勉が国軍人事を断行し、崔は陸軍参謀総長に就任した〔。 1961年3月 第2軍司令官。同年5月に起きた5・16軍事クーデターは消極的に支持していた。翌6月に予備役編入。ジョージ・ワシントン大学に留学。1963年3月21日、朴正熙の軍事政権延長提案に反対するデモを起こした〔。 駐メキシコ大使、駐イギリス大使、交通部長官、駐日大使を歴任した。1987年、在郷軍人会会長。 抄文引用元・出典: フリー百科事典『 ウィキペディア(Wikipedia)』 ■ウィキペディアで「崔慶禄」の詳細全文を読む スポンサード リンク
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