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嵐 寛壽郎(あらし かんじゅうろう、新字体:寛寿郎、1902年12月8日 - 1980年10月21日)は、日本の映画俳優、映画プロデューサーである。本名高橋 照一〔文献により「照市」との表記もある〕(たかはし てるいち)。 戦前期に活躍した時代劇スターの一人で、300本以上の映画に出演、「アラカン」の愛称で親しまれた。同時代の時代劇スターの阪東妻三郎、大河内伝次郎、片岡千恵蔵、市川右太衛門、長谷川一夫とともに「時代劇六大スタア」と呼ばれた〔『週刊サンケイ臨時増刊 大殺陣 チャンバラ映画特集』(サンケイ出版)〕。当たり役は鞍馬天狗と『右門捕物帖』のむっつり右門で、前者は40本、後者は36本シリーズ化されている。また、新東宝の『明治天皇と日露大戦争』では、俳優の中で初めて天皇を演じて話題となった(本作では明治天皇を演じた)。晩年は東映任侠映画で助演し、テレビドラマでも活躍した。 祖父は文楽の人形遣いの初代桐竹紋十郎。叔父は俳優の六代目嵐徳三郎〔この徳三郎は「義父」を名乗ることがあったので、文献に混乱が見られるが叔父である。〕。従妹は女優の森光子で、甥にAV男優の山本竜二がいる。自宅は嵐山にあった。 == 来歴 == 1902年(明治35年)12月8日、京都市木屋町三条下ルに生まれる。「無芸だった」という父親が奉公していた手前、縄手に住む祖母(夫が桐竹紋十郎)の経営する料理旅館「葉村屋」に預けられた。 満十歳の時、母親の「芸事より固い商売を」との方針で、弥栄尋常小学校を五年で中退、七條大宮の衿屋に丁稚奉公させられる。「睡眠5時間、おかずは沢庵二切れのみ、月給一円、休みは月に一度だけ」という殺人的重労働に「まるで留置場やった」と述懐している。 丁稚時代、月に一度の休日に活動写真を観に行くことだけが愉しみで、尾上松之助の忍術トリック映画や、ニコニコ大会(バスター・キートン、チャールズ・チャップリン、ハロルド・ロイドの混載興行)に熱中していた。のちに、チャップリンの「キッド」が鞍馬天狗と杉作とのからみに、キートンの無表情さがむっつり右門の演技に、それぞれ大きな影響になったと述懐している。 抄文引用元・出典: フリー百科事典『 ウィキペディア(Wikipedia)』 ■ウィキペディアで「嵐寛寿郎」の詳細全文を読む スポンサード リンク
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