翻訳と辞書
Words near each other
・ 嵐山光三郎
・ 嵐山公園
・ 嵐山公園 (北海道)
・ 嵐山区
・ 嵐山小川IC
・ 嵐山小川インターチェンジ
・ 嵐山市民スキー場
・ 嵐山捨吉
・ 嵐山支線
・ 嵐山本線
嵐山次郎
・ 嵐山温泉
・ 嵐山町
・ 嵐山線
・ 嵐山花灯路
・ 嵐山花見台工業団地
・ 嵐山郵便局
・ 嵐山陶芸の里
・ 嵐山駅
・ 嵐山駅 (京福電気鉄道)


Dictionary Lists
翻訳と辞書 辞書検索 [ 開発暫定版 ]
スポンサード リンク

嵐山次郎 : ミニ英和和英辞書
嵐山次郎[あらしやま じろう]
=====================================
〔語彙分解〕的な部分一致の検索結果は以下の通りです。

: [あらし]
 【名詞】 1. storm 2. tempest 
: [やま]
 【名詞】 1. (1) mountain 2. (2) pile 3. heap 4. (3) climax 5. critical point 
: [つぎ]
  1. (n,adj-no) (1) next 2. following 3. subsequent 4. (2) stage 5. station 

嵐山次郎 : ウィキペディア日本語版
嵐山次郎[あらしやま じろう]
嵐山 次郎(あらしやま じろう、 1943年12月14日- )は、岐阜県安八郡安八町出身で、宮城野部屋に所属した大相撲力士である。本名は海老 二郎(えび じろう)。身長179cm、体重111kg。最高位は東前頭12枚目(1970年3月場所)。得意手は右四つ、寄り、下手投げ
== 来歴・人物 ==
中学卒業後上京し、旋盤工として働いていた。だが、吉葉山のファンだったことから宮城野部屋に稽古見学に行ったところ勧誘され、同部屋へ入門することとなった。
初土俵を踏んだのは1960年3月場所で、同期生には、後の関脇・長谷川や前頭・牧本らがいた。
身体が小さく取的時代に苦労したものの、順調に番付を上げていき、1967年3月場所で十両に昇進した。その場所では8勝7敗と勝ち越したが、翌場所では「番付枚数削減」のあおりを受け、幕下に陥落させられてしまった。
この処遇に腐らず努力を続けたものの、再び十両に上がるまで、1年以上かかった。
全盛期でも110kg程度と力士としては小柄ながら、右四つに組んでから櫓投げの大技を見せるなど豪快な相撲を取った。しかし気分屋で、欲のない性格だったために出世が遅れた。
1970年1月場所では西十両3枚目で8勝7敗という星を挙げ、今度は番付運の良さに救われて、翌場所で新入幕を果たした。しかし本人が「ラッキーな入幕だった」と語るように同場所では4勝11敗と大敗し、幕内在位は結局この1場所だけで終わった。
1972年5月場所を最後に28歳で廃業し、以後は愛知県名古屋市中区で、相撲料理店「ちゃんこ 嵐山」を経営した。

抄文引用元・出典: フリー百科事典『 ウィキペディア(Wikipedia)
ウィキペディアで「嵐山次郎」の詳細全文を読む




スポンサード リンク
翻訳と辞書 : 翻訳のためのインターネットリソース

Copyright(C) kotoba.ne.jp 1997-2016. All Rights Reserved.