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嶋田雄大 : ミニ英和和英辞書
嶋田雄大[しまだ たけひろ]
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〔語彙分解〕的な部分一致の検索結果は以下の通りです。

: [た]
 【名詞】 1. rice field 
: [おす]
 【名詞】 1. male (animal) 
雄大 : [ゆうだい]
  1. (adj-na,n) grandeur 2. magnificence 3. splendour 4. splendor 

嶋田雄大 : ウィキペディア日本語版
嶋田雄大[しまだ たけひろ]

嶋田 雄大(しまだ たけひろ、1971年8月13日 - )は、日本の元プロボクサー富山県富山市出身。元日本ライト級王者。ヨネクラボクシングジム所属。富山第一高等学校卒業。
== 来歴 ==
マイク・タイソンにあこがれ、プロボクサーになることを決意した。高校卒業後に渡米し、ニューヨークにあったタイソンの自宅を訪ねたが、門前払いされた〔嶋田、日本人最年長王者ならず(2/2ページ) サンケイスポーツ 2009年7月27日閲覧〕。
1996年、アマチュア全日本社会人選手権スーパーフェザー級3位になり、プロに転向。3年間のアマチュア戦績は15勝(11KO・RSC)6敗。その内10KOは1R決着。
1997年6月24日、デビュー戦に1RKOで勝利。専属トレーナーはバトルホーク風間。11月8日、3連勝で東日本スーパーフェザー級新人王決勝戦に挑むも、本田正に6R判定負け。
1999年12月17日、3連勝でリック吉村の持つ日本ライト級王座に挑戦。10R判定まで縺れるも、判定負けで王座獲得はならなかった。
2000年11月27日、2連勝後再度リック吉村に挑戦も、またも10R判定負け。
2002年3月9日、日本ライト級王者木村登勇に挑戦。10R判定で勝利し、3度目の挑戦で王座を獲得した。
2004年12月20日、小野淳一稲田千賢長嶋健吾ら5人を退け5度防衛した王座を返上。この間に風間が死去し柴田国明がトレーナーとなった。
王座返上後も、竹原慎二&畑山隆則のボクサ・フィットネス・ジムでトレーナーをしながら7戦7勝で世界戦に向け待機していた。
2008年6月12日、WBA世界スーパーフェザー級王者エドウィン・バレロが防衛戦の相手として迎え撃つ予定であったイスラエル・ペレスが膝の故障のため、バレロとの対戦が不可能となり、その代打挑戦者として日本武道館でバレロに挑んだが〔嶋田(富山市出身)ついに夢舞台/6月、ボクシング世界戦 北日本新聞 2008年4月22日閲覧〕、7RTKOで敗れ、この時点での日本ボクシング史上最高齢タイトル奪取は叶わなかった〔嶋田引退! 死力尽くした「人生最高の日」…ダブル世界戦 スポーツ報知 2008年6月13日閲覧
36歳もう一丁! 嶋田 現役続行へ スポーツニッポン 2008年6月14日閲覧〕。2か月後には37歳になったが、日本王者経験、世界挑戦経験により、以降もJBCからライセンス交付の認可を受けている。
2009年3月16日、日本ライト級6位として、アメス・ディアス(WBA13位)を4R1分47秒KOで下し、再起を果たした。当初は元王者ホセ・アルファロと対戦予定だったが、アルファロ側の事情でキャンセルとなっていた。嶋田はこの試合に対し、東日本ボクシング協会の平成21年3月度月間最優秀選手賞を受けた。
2009年7月3日、WBA世界ライト級王者パウルス・モーゼス陣営よりナミビアでの対戦オファーを受けて4日に正式契約を交わした〔37歳嶋田世界再挑戦ドタバタ決定 日刊スポーツ 2009年7月11日閲覧〕。王者陣営からの航空券受け取りが3日遅れるなど波瀾もあったが〔世界戦挑戦の嶋田出発延期、航空券届かず 日刊スポーツ 2009年7月17日閲覧〕、トレーナーの柴田と会長の米倉健司が同行し、試合を前にドン・キングと3年契約を結んだ〔嶋田雄大:最年長ボクサー ドン・キング氏と3年契約 毎日新聞 2009年7月26日閲覧〕。ライト級のタイトルマッチでありながら前日計量はモーゼスが60.7kg、嶋田が60.0kgでパスした。試合は7月25日深夜、ナミビアの首都ウイントフックにあるウィントフック・カントリー・クラブ・リゾートのホテル敷地に仮設されたテント内にて気温3度程度で行われ、0-3(109-119、109-119、110-118)の判定負けを喫し、王座獲得はならなかった。試合直後には再戦を希望して現役続行の意思を表明した〔嶋田、左太もものアクシデントに泣く ボクシングニュース「Box-on!」 2009年7月26日閲覧〕。日本国内での現役続行には2年の猶予がある〔嶋田、日本最年長王者ならず 日刊スポーツ 2009年7月27日閲覧〕。
2010年1月15日、アレクシス・サリナスとの10回戦では序盤に右拳を傷めたが、3-0の判定勝利で再起を果たした〔日本人現役最年長の38歳嶋田が再起戦に勝った! スポーツ報知 2010年1月16日閲覧〕。
2012年1月10日、40歳の日本ライト級3位として、28歳で日本9位の岩下幸右とのライト級8回戦に大差の判定勝利を収めた〔40歳現役最年長が圧勝 日刊スポーツ 2012年1月10日閲覧〕。
2012年8月13日、41歳の誕生日にOPBF東洋ライト級6位/日本ライト級1位として、世界ランキング1位でOPBF東洋太平洋ライト級王者の荒川仁人に挑戦したが8ラウンドTKOで敗れた。〔41歳嶋田王座失敗 日刊スポーツ 2012年8月14日閲覧〕。

抄文引用元・出典: フリー百科事典『 ウィキペディア(Wikipedia)
ウィキペディアで「嶋田雄大」の詳細全文を読む




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