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嶋錦博 : ミニ英和和英辞書
嶋錦博[しまにしき ひろし]
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〔語彙分解〕的な部分一致の検索結果は以下の通りです。

: [にしき]
 【名詞】 1. brocade 
: [ばく, ひろ]
  1. (n,n-suf,vs) doctor 2. Ph.D. 3. exposition 4. fair 5. exhibition 6. commanding esteem 7. winning acclaim 8. gaining 9. receiving 10. command esteem 1 1. win acclaim 12. gain 13. receive

嶋錦博 : ウィキペディア日本語版
嶋錦博[しまにしき ひろし]

嶋錦 博(しまにしき ひろし、1928年9月26日-2003年7月18日)は、大阪府大阪市浪速区出身で、1950年代に活躍した大相撲力士高砂部屋(入門時は芝田山部屋)に所属していた。本名は大嶋 博(おおしま ひろし)。最高位は西前頭筆頭(1957年9月場所)。現役時代の体格は174cm、135kg。得意手は左四つ、寄り、吊り。
== 来歴 ==
1943年に上京し、元横綱宮城山が率いる芝田山部屋へ入門。同年5月場所にて、14歳で初土俵を踏んだ。しかし、翌年11月場所で番付四股名が載るまでに3場所も前相撲を取るなど、当初は苦戦した。
序ノ口に付いた時の名は、本名に因んだ「大ノ嶋」で、改名後の「嶋錦」も本名に因んだものである。
入門した年の11月に師匠(元宮城山)が亡くなった事に伴って芝田山部屋は閉鎖され、翌年早々、旧芝田山部屋の全力士は高田川部屋(師匠は元関脇・早瀬川)へ移籍した。
高田川親方も間も無く死去し、それにより大ノ嶋ら、同部屋の力士達は高砂部屋が引き取っている。
その後は恵まれた体格を生かして順調に出世し、1951年1月場所で新十両に昇進。翌年9月場所では新入幕を果たし、以来、左四つからの鋭い吊り寄りを武器に長く幕内の土俵で活躍した。
だが、幕内では1954年1月場所での12勝を最高に5度も二桁勝利(10勝以上)を記録しながら、1度も三賞を受賞できなかったのは不運であった。明快さと淡白さを併せ持った力士であったが、その淡白な性格が裏目に出たともいえる。
現役晩年は幕下2枚目まで番付を落とし、1960年3月場所後、ご当所でもある大阪の地で引退を表明した。
引退後は、高砂部屋付きの年寄・陣幕として後輩達を指導し、また長く勝負審判も務めた。後に同じ高砂一門の九重部屋へ移籍し、千代の富士保志(後の北勝海)らを鍛えつつ、停年を迎えるまで相撲協会に在籍した。
なお、1991年5月から停年退職までは、年寄・八角を襲名していた。
2003年7月18日、急性肝不全のため東京都青梅市内の病院で逝去。享年74。

抄文引用元・出典: フリー百科事典『 ウィキペディア(Wikipedia)
ウィキペディアで「嶋錦博」の詳細全文を読む




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