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巌谷 一六(いわや いちろく、天保5年2月8日(1834年3月17日) - 明治38年(1905年)7月12日)は、滋賀県出身の政治家、書家。本名は修(幼名は辨治)、字を誠卿といい、一六は号で、別号に古梅・迂堂・金粟道人などがある。 児童文学者の巌谷小波は子。いとこの美濃部鏘次郎の曾孫に岡田卓也元イオン社長、玄孫に岡田克也外務大臣がいる。 == 経歴 == 天保5年(1834年)、近江国甲賀郡水口(現在の滋賀県甲賀市)に生まれる。父玄通は水口藩の侍医であったが、一六が6歳の時に亡くなり、母とともに京都に赴き、書・漢籍・医術を学んだ。明治元年(1868年)、新政府の官吏となり、内閣大書記官・元老院議官などを歴任した。1890年(明治23年)10月20日、元老院が廃止され議官を非職となり錦鶏間祗候を仰せ付けられ〔『官報』第2195号、明治23年10月22日。〕、1891年4月21日、非職元元老院議官を依願免本官となる〔『官報』第2340号、明治24年4月22日。〕。同年4月15日、貴族院勅選議員に任じられた〔『官報』第2335号、明治24年4月16日。〕。 明治38年(1905年)、腎炎のため72歳で没した〔服部敏良『事典有名人の死亡診断 近代編』付録「近代有名人の死因一覧」(吉川弘文館、2010年)5頁〕。 抄文引用元・出典: フリー百科事典『 ウィキペディア(Wikipedia)』 ■ウィキペディアで「巌谷一六」の詳細全文を読む スポンサード リンク
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