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川上喜久子 : ミニ英和和英辞書
川上喜久子[かわかみ きくこ]
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〔語彙分解〕的な部分一致の検索結果は以下の通りです。

: [かわ]
 【名詞】 1. river 2. stream 
川上 : [かわかみ]
 【名詞】 1. upper reaches of a river 
: [じょう]
 (n,pref,suf) 1. first volume 2. superior quality 3. governmental 4. imperial 5. top 6. best 7. high class 8. going up 9. presenting 10. showing 1 1. aboard a ship or vehicle 12. from the standpoint of 13. as a matter of (fact) 13. superior
: [こ, ね]
 (n) first sign of Chinese zodiac (The Rat, 11p.m.-1a.m., north, November)

川上喜久子 : ウィキペディア日本語版
川上喜久子[かわかみ きくこ]

川上 喜久子(かわかみ きくこ、1904年明治37年)11月23日 - 1985年昭和60年)12月4日)は、日本の小説家。旧姓は篠田。
== 経歴・人物 ==
静岡県小笠郡出身。平壌高等女学校、山脇高等女学校専攻科卒業。父は京城帝国大学総長などを務めた篠田治策である〔『20世紀日本人名事典』日外アソシエーツ編、2004年7月発行 より〕。
山脇高女卒業後には歌人与謝野晶子に師事し、文芸の道に進む。23歳の1927年(昭和2年)に大阪朝日新聞の懸賞短編小説に応募した「或る醜き美顔術師」が入選し商業誌デビュー。同時入選には石川達三平林たい子がいた〔。1924年(大正13年)から1931年(昭和6年)までの7年間は夫とともに朝鮮半島に居住していたが、本格的に作家業を開始してからは鎌倉市宅間ヶ谷に住んだという。
その後は『文學界』を中心に活動し、1936年(昭和11年)には「滅亡の門」(『文學界』1936年11月号)で第11回文學界賞を受賞。また同時に「滅亡の門」と「歳月」(『文學界』1936年8月号)は1936年下半期の第4回芥川賞候補となっている。翌1937年(昭和12年)には朝鮮を舞台とした「光仄かなり」を発表するが、発売禁止の措置がとられた。ちなみに1937年度上半期の第5回芥川賞でも彼女の作品(複数)が候補作となっている。

抄文引用元・出典: フリー百科事典『 ウィキペディア(Wikipedia)
ウィキペディアで「川上喜久子」の詳細全文を読む




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