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川上 嘉市(かわかみ かいち、1885年(明治18年)3月1日 - 1964年(昭和39年)4月6日)は、大正・昭和期の日本の実業家。 == 来歴・人物 == 静岡県浜松市〔浜北市とする資料もある。〕出身。1909年(明治42年)東京帝国大学工科大学〔当時、東京帝国大学は単科大学制度であった。〕を首席で卒業。 東京瓦斯へ入社後、1910年(明治43年)に住友電線製造所(現在の住友電工)に転職。1914年(大正3年)にオーストリア・グラーツにゴム化学の研究の為に留学。同年7月に第一次世界大戦が開戦したことからベルリン経由でイギリスに脱出した。1925年(大正14年)から住友電線取締役を務めた。1927年(昭和2年)に労働争議で経営不振となった日本楽器製造(現在のヤマハ)の社長に就任。 労働争議を解決し、経営の合理化や音響実験室を設けるなど近代的な生産方法を推進し、日本楽器製造の経営を立て直した。 この他、理研電化工業、小糸車両工業の取締役も務めた。 1946年(昭和21年)8月21日、貴族院勅選議員〔『官報』第5883号、昭和21年8月23日。〕。1947年(昭和22年)4月20日に実施された第1回参議院議員通常選挙に静岡県選挙区から出馬し当選(緑風会所属)。 1950年(昭和25年)に日本楽器製造社長を長男の川上源一に譲り会長に就任。1964年(昭和39年)4月6日79歳にて死去。没後、勲三等旭日中綬章を受章。退職金と葬儀の香典は、浜松市に寄付され、浜松市育英事業基金として育英事業に活かされている。 絵画や書、和歌に通じた趣味人でもあった。特に人物画、顔を描くことが多く、骨相学の研究もしていたという。浜松市名誉市民。 抄文引用元・出典: フリー百科事典『 ウィキペディア(Wikipedia)』 ■ウィキペディアで「川上嘉市」の詳細全文を読む スポンサード リンク
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