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川井氏(かわいし)は日本の武家のひとつ。複数の系統が存在する〔杉本文彦編『日本の姓氏 大総鑑』(日正出版、1997年(平成9年))394頁。〕。 # 藤原北家流 - 勧修寺家傍系上杉氏の庶流。 # 藤原南家流 - 今川氏の家臣にあり。 # 藤原北家流 - 佐竹氏重臣(後述)。 # 藤原北家利仁流 # 度会氏流 # 壬生氏流 - 山城国北野天神社社家。 # 河内源氏流 - 吉見氏の庶家。 # 中原氏十市氏流 - 十市城主民部太夫遠武の次男治良太夫遠正が大和国広瀬郡河合の廣瀬大社の社司樋口太夫正之の婿養子となり8,000余石を領して河合城を築き、川井民部少輔中原遠正と称したのが始まり。後に今西氏と改める。 == 佐竹家臣 川井氏 == 常陸国の戦国大名・佐竹氏の家臣に川井氏がある。河合とも〔常陸大宮市史編さん委員会編『佐竹家臣系譜』(常陸大宮市、1982年(昭和57年))160頁 - 162頁。〕。本姓は藤原氏。家系は那珂氏族江戸氏の別れであるという。同族に川野辺氏等がいる。佐竹家臣の久慈郡西東衆に川井甲斐守の名がある〔大内政之介著『山入一揆と佐竹氏』(筑波書林、1991年)108頁。〕。河合村にあり、河合城主を務めるとも〔冨村壽夫、冨村尚樹共著『佐竹氏物語 : 史上最長不倒の豪族』(非売品、2011年)225頁参照。〕。また、同じく佐竹家中別系として源姓佐竹氏の一門たる川井氏の血筋も見られ、前沢筑後守良胤の室に佐竹一門の川井伊賀守の息女・美根が嫁いでいる〔大内政之介著『新編金砂戦国史』(筑波書林、1993年)115頁参照。太田亮著、上田萬年、三上参次監修『姓氏家系大辞典 第3巻』(角川書店、1934年)5679頁に詳しい〕。 家紋は丸に平井筒、丸に木瓜が藤原南家流。秀郷流河合氏が丸に木瓜、丸に蔦を用いるという〔日本家紋研究会編『家紋でわかるあなたの祖先 茨城県北部地方』(日本家紋研究会、2001年)15頁参照。〕。 佐竹氏家老を務めた川井伊勢守忠遠を輩出したが、忠遠は新参の重臣・渋江内膳政光を暗殺しようとした嫌疑で慶長8年(1603年)に主君佐竹義宣により粛清されたため、家系から抹消されており伝も少ない。 系譜 ---川井甲斐守忠宗 - 川井駿河守忠連 - 川井河内守忠重 - 川井河内守光忠 - 川井玄蕃忠泰 - 川井玄蕃信忠 以下、前項の同族で忠泰の三男 忠実の家系。 系譜 川井玄蕃忠泰 - 川井文八忠実 - 川井弾四郎忠時 - 川井肥前忠教 - 川井肥前行基 - 川井近江忠重 - また、秋田県公文書館編『系図目録I』にも関連資料が掲載されている〔秋田県公文書館編『系図目録I』(秋田県公文書館、2001年(平成13年))168 - 170頁参照。〕。 抄文引用元・出典: フリー百科事典『 ウィキペディア(Wikipedia)』 ■ウィキペディアで「川井氏」の詳細全文を読む スポンサード リンク
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