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川勝 継氏(かわかつ つぐうじ)は、戦国時代から安土桃山時代の丹波の武将。本姓は秦氏で、秦河勝の後裔とされる。 == 生涯 == 享禄4年(1531年)、川勝広継の嫡男として丹波に生まれた。丹波国桑田郡・船井郡内を知行し、桑田郡今宮に住んで、室町幕府13代将軍・足利義輝に奉公衆として仕えた。 その後、15代将軍・足利義昭と織田信長が対立すると信長に従った。天正元年(1573年)、信長の命を受けた細川藤孝に従って、山城国の淀城攻め(第二次淀古城の戦い)〔足利義昭の求めに応じて、岩成友通が淀古城に立て篭もって奮戦したが討ち取られた。〕に参加している。天正4年(1576年)からの明智光秀の丹波攻略には与力となって協力し〔継氏の手勢は、同じ丹波の国衆のうち反信長を掲げた宇津氏攻めなどで活躍した。〕、信長により戦功を賞された。天正10年(1582年)の本能寺の変以降は豊臣秀吉に仕え、同年9月9日には嫡男・秀氏が秀吉より丹波国何鹿郡内で3,535石を与えられている。慶長3年(1598年)、初めて徳川家康に謁見し、秀吉死後は家康に仕えた〔『寛政重修諸家譜』の記述によった。『戦国人名事典コンパクト版』によれば、関ヶ原の戦いでは西軍に加わり所領を没収されたとある。〕。 慶長7年(1602年)3月21日、72歳で死去。 抄文引用元・出典: フリー百科事典『 ウィキペディア(Wikipedia)』 ■ウィキペディアで「川勝継氏」の詳細全文を読む スポンサード リンク
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