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川原 政数(かわはら まさかず、1937年1月5日 - )は、広島県出身の元プロ野球選手。ポジションは捕手。 == 来歴・人物 == 尾道商業から1955年に広島カープへ入団〔カープ50年 夢を追って、中国新聞社、1999年11月、P57〕。強肩、強打の捕手として1年目から期待されており、衰えが見えていた門前眞佐人の後釜候補だった〔。しかし、1年目は紅白戦で「第五腰椎分離症」を発症し、わずか12試合の出場に留まった〔。 1956年は腰の痛みも良くなり中盤からは門前に変わってレギュラーとして試合出場することも増えた〔。 1957年は門前が前年に引退した事もあって正捕手となった。しかし、この年の終盤に再び腰痛に見舞われ107試合に出場してシーズンを終えた〔。 1958年はキャンプにコルセットを着けて挑むなど復活を目指したが、南海ホークスから移籍してきた田中尊に正捕手を奪われてしまった〔。川原に不運は続き、1959年に右肘を痛め手術。さらに右手親指の骨折、同薬指の腱断裂と度重なる怪我に悩まされ続けた〔。強肩だった肩も怪我の影響で思うようにスローイングできず、鈍足の選手に盗塁を許すほどの状態だった〔。 1962年には中日ドラゴンズ戦で巨漢のドン・ニューカムと本塁で激突し、一週間意識不明の状態となった〔。なんとか意識は回復したが、ろっ骨を折る重症で、一歩間違えれば内臓破裂の危険もあった〔。 1963年に復帰して55試合に出場したが、翌年は21試合、翌々年は僅か3試合の出場にとどまった。 1965年に引退し、コーチを務め、その後はスコアラーに就任した〔。球団営業部勤務を最後に、1983年退団〔。 抄文引用元・出典: フリー百科事典『 ウィキペディア(Wikipedia)』 ■ウィキペディアで「川原政数」の詳細全文を読む スポンサード リンク
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