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川又克二 : ミニ英和和英辞書
川又克二[かわまた かつじ]
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〔語彙分解〕的な部分一致の検索結果は以下の通りです。

: [かわ]
 【名詞】 1. river 2. stream 
: [また]
  1. (adv,conj,n) again 2. and 3. also 
: [に]
  1. (num) two 

川又克二 : ウィキペディア日本語版
川又克二[かわまた かつじ]
川又 克二(かわまた かつじ、明治38年(1905年3月1日 - 昭和61年(1986年3月29日)は日本実業家日産自動車中興の祖として知られる。
== 来歴・人物 ==
茨城県東茨城郡上大野村大字吉沼(現水戸市吉沼町)に生まれる。川又家は、昔はこの集落の庄屋のような家柄だった。明治になって子供がいなかったので、旧水戸藩士の田辺家から養女を迎えた。これが母錦(きん)である。母が17歳のとき、同じ土地の丹下という家から父の操(みさお)が養子にきた。父は水戸の専売局の太子出張所に勤める一役人にすぎず、いわば半農半勤の家計だったので、母は慣れない農事に精を出しながら、しだいに田畑を手放していかざるをえなかった。〔『私の履歴書 経済人7』206頁〕
水戸中学校京北中学校を経て1929年旧制東京商科大学一橋大学の前身)卒業。
1929年、日本興業銀行(現みずほ銀行)入行。大日本帝国陸軍主計幹部候補生、日本興業銀行融資事業部長、同広島支店長等を経て、1947年日産自動車常務取締役就任。同専務を経て1957年同社長。1959年日産ディーゼル会長兼務、1967年日本自動車工業会初代会長、1973年日産自動車会長。1983年から日産自動車相談役。経団連の副会長も務めた。

抄文引用元・出典: フリー百科事典『 ウィキペディア(Wikipedia)
ウィキペディアで「川又克二」の詳細全文を読む




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