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川口 信男(かわぐち のぶお、1975年4月10日 - )は、新潟県三条市出身(出生は隣接している加茂市)のサッカー指導者、元サッカー選手。現役時代のポジションはフォワード(FW)及びミッドフィールダー(MF)。 妻は元TeNYアナウンサーの関純子。 == 来歴 == === 現役時 === 小学生の時に兄の影響でサッカーを始めた。高校時代には新潟県選抜として国体に2度出場。1994年に順天堂大学に進学し、先輩・名波浩のパスからゴールに迫る活躍で〔 WEBサッカーマガジン (2001年11月21日)〕同年の関東大学リーグ新人賞を受賞。スピードを活かした突破力を武器に快足ストライカーとして名を馳せた。同期に鈴木悟、鳥羽俊正。1997年には大学選抜に選出され、ユニバーシアードに参加。 1998年、名波が在籍するジュビロ磐田に入団。同年のヤマザキナビスコカップ決勝戦では2得点を挙げて大会MVPに選出された〔ヤマザキナビスコカップ 公式記録1998 Jリーグ〕。1999年にはアジアクラブ選手権優勝。2000年以降は主に右サイドのアタッカーとして使われることが増え、磐田黄金期のスーパーサブとして活躍。快足を生かし攻撃を活性化させた〔「西部謙司の眼」J1セカンドステージ第15節 横浜M2-1磐田 完全優勝(前編) スポーツナビ (2003年12月1日)〕が、太田吉彰らの台頭を受けて徐々に出場機会を失っていった。2005年12月、同年限りでの退団を決意〔 東京中日スポーツ (2006年1月8日)〕。 2006年よりFC東京に完全移籍〔 ジュビロ磐田 (2006年1月10日)〕〔 FC東京 (2006年1月10日)〕。果敢なドリブル突破で攻撃の一翼を担った。2007年はカップ戦を含め全試合にベンチ入りしていたが〔選手出場記録 2007Jリーグ ディビジョン1 、選手出場記録 Jリーグヤマザキナビスコカップ 予選リーグ 、同 決勝トーナメント Jリーグ〕無得点に終わり、12月に契約非更新が発表され〔 FC東京 (2007年12月4日)〕、Jリーグ合同トライアウトにも参加した。リーグ戦終了後の天皇杯では、気持ちのこもったプレーでチームを牽引〔川口 天皇杯Vで有終の美だ 東京中日スポーツ (2007年12月21日)〕〔【第87回天皇杯準々決勝 F東京 vs 広島】原博実監督(F東京)記者会見コメント J's GOAL (2007年12月23日)〕。ここでの好プレーに加え、川口とポジションの重なる選手の退団が相次いだことなどから、翌2008年1月に再契約を結び〔 FC東京 (2008年1月19日)〕FC東京に残留した。この年もピッチ上での健在ぶりを示していたが、大竹洋平や鈴木達也にスーパーサブの役割を譲る事が増え〔選手出場記録 2008Jリーグ ディビジョン1 Jリーグ (2008年12月6日)〕、同シーズンをもって現役を引退した。 高い意識で真摯に練習に取り組む姿は見本として信頼を寄せられ〔 東京中日スポーツ (2007年12月8日)〕、2008年に特別指定選手としてチームに加わり、後にFC東京に入団することになる高橋秀人は、「ノブさんがいなかったらFC東京に入っていなかったかもしれない。」と述懐している〔【J2 10月度MIP受賞インタビュー】 J's GOAL、2011.12.15〕。 抄文引用元・出典: フリー百科事典『 ウィキペディア(Wikipedia)』 ■ウィキペディアで「川口信男」の詳細全文を読む スポンサード リンク
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