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川口大三郎 : ミニ英和和英辞書
川口大三郎[かわぐち だいさぶろう]
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〔語彙分解〕的な部分一致の検索結果は以下の通りです。

: [かわ]
 【名詞】 1. river 2. stream 
川口 : [かわぐち]
 【名詞】 1. mouth of river 2. estuary 
: [くち]
 【名詞】 1. mouth 2. orifice 3. opening 
: [み]
  1. (num) three 

川口大三郎 : ウィキペディア日本語版
川口大三郎[かわぐち だいさぶろう]
川口大三郎(かわぐち だいさぶろう、1952年8月25日 - 1972年11月8日)は、早稲田大学第一文学部の学生。

==生涯==
1952年静岡県伊東市に生まれる。三人兄姉の次男。小学校五年生の時父親が病死し、以後母親に育てられる。伊東市立東小学校、同南中学校、静岡県立伊東高校を経て、1971年4月早稲田大学第一文学部入学。部落解放運動などに参加していた。第一文学部自治会執行部を握る革マル派に失望し、1972年頃中核派に近づき同派の集会などに参加するが、まもなく中核派にも失望し、その感想を級友に語っていた。早稲田学生新聞(勝共連合系学内新聞、現在は廃刊)、早稲田精神昂揚会など右派系学生団体とも接触があった。中核派は、「全学連戦士・川口大三郎同志」などと述べたが、実際には中核派とはほとんど関係なかった。
1972年11月8日、早稲田大学を支配していた革マル派は、川口大三郎を中核派と誤認して同日午後2時頃同文学部キャンパスで学生自治会室に拉致し、約8時間にわたるリンチを加えて殺害した(享年20)。革マル派は、遺体を東大構内・東大付属病院前に遺棄した。遺体はパジャマ姿だった。「死因は、丸太や角材でめちゃくちゃに強打され、体全体が細胞破壊を起こしてショック死」(朝日新聞1972年11月10日朝刊)したもので、「体の打撲傷の跡は四十カ所を超え、とくに背中と両腕は厚い皮下出血をしていた。外傷の一部は、先のとがったもので引っかかれた形跡もあり、両手首や腰、首にはヒモでしばったような跡もあった」(同)という凄惨なものであった

抄文引用元・出典: フリー百科事典『 ウィキペディア(Wikipedia)
ウィキペディアで「川口大三郎」の詳細全文を読む




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