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川口宗恒 : ミニ英和和英辞書
川口宗恒[かわぐち むねつね]
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〔語彙分解〕的な部分一致の検索結果は以下の通りです。

: [かわ]
 【名詞】 1. river 2. stream 
川口 : [かわぐち]
 【名詞】 1. mouth of river 2. estuary 
: [くち]
 【名詞】 1. mouth 2. orifice 3. opening 
: [そう, しゅう]
 【名詞】 1. sect 

川口宗恒 : ウィキペディア日本語版
川口宗恒[かわぐち むねつね]
川口 宗恒(かわぐち むねつね、寛永7年(1630年) - 宝永元年5月8日1704年6月9日))は、江戸時代旗本。通称は源左衛門。官位は従五位下摂津守。父は川口宗次、母は朽木宣綱の娘。妻は菅谷範重の娘。妹に服部信成室。子に宗直菅谷政房(範重の子の菅谷政照養子)。
延宝8年(1680年)3月25日、長崎奉行(25代)となる。オランダ商館の医師のエンゲルベルト・ケンペルと親交があり、彼の著した「江戸参府旅行日記」には、宗恒のことを温厚な人物であるが、職務には厳しいと書かれている。元禄3年(1690年)、従五位下摂津守に叙任し、元禄6年(1693年)12月1日江戸町奉行(北町)となる。元禄11年(1698年)12月15日に職を辞する。なお、領地は下総国香取郡阿玉台村、須賀山村、印旛郡吉田村、松虫村、吉高村、青菅村であった。
==外部リンク==
長崎奉行としての川口宗恒の紹介




抄文引用元・出典: フリー百科事典『 ウィキペディア(Wikipedia)
ウィキペディアで「川口宗恒」の詳細全文を読む




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