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川口 敬次郎(かわぐち けいじろう、1919年6月15日 - 1991年11月29日〔プロ野球人名事典2003(2003年、日外アソシエーツ)、168ページ〕)は、熊本県出身のプロ野球選手(投手)。旧姓:岡本〔熊工野球部100年の歩み - 東京熊工会 〕。 == 来歴・人物 == 熊本工業(現・熊本県立熊本工業高等学校)在学中には、甲子園に1回(夏1回〈1937年〉)出場〔出身校・都道府県別プロ野球選手リスト(西日本編) 〕。この大会では川上哲治(同級生でもあった。のち巨人)の控え投手という立場であったが、チームの準優勝に貢献した。準優勝時のメンバーには川上の他、吉原正喜,鈴木田登満留(2人とも巨人)がいる。 熊本工業卒業後は、中島飛行機製作所→西日本鉄道硬式野球部と社会人野球のチームに所属。の第19回都市対抗野球大会では、控え投手としてチームの優勝に貢献。この時のチームメイトには、武末悉昌投手・伴勇資捕手・上野義秋一塁手・宮崎要監督兼二塁手・深見安博三塁手・千頭久米夫遊撃手・塚本悦郎中堅手・大崎憲司右翼手がおり、後に西鉄の草創期を形成するメンバーとなった。 にこの年新設された西鉄クリッパースに投手として入団。しかし制球難に苦しみ、プロ通算で未勝利に終わった。に阪急ブレーブスに移籍し、同年限りで引退した。阪急所属時代の9月23日、西鉄戦(後楽園スタヂアム)ではかつての同僚だった千頭から、プロ野球通算5,000号となるメモリアルアーチを打たれている(プロ野球記念本塁打一覧参照)。 1991年11月29日に死去〔。。 抄文引用元・出典: フリー百科事典『 ウィキペディア(Wikipedia)』 ■ウィキペディアで「川口敬次郎」の詳細全文を読む スポンサード リンク
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