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川合小梅 : ミニ英和和英辞書
川合小梅[かわい こうめ]
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〔語彙分解〕的な部分一致の検索結果は以下の通りです。

: [かわ]
 【名詞】 1. river 2. stream 
: [ごう]
 【名詞】 1. go (approx. 0.18l or 0.33m) 
: [うめ]
 【名詞】 1. (1) plum 2. Japanese apricot 3. prunus mume 4. (2) lowest (of a three-tier ranking system) 

川合小梅 : ウィキペディア日本語版
川合小梅[かわい こうめ]
川合小梅(かわい こうめ、1805年1月22日文化元年12月22日)- 1889年明治22年)11月2日)は、江戸後期から明治時代の画家。16歳から長期に渡り書き続けた日記が、後に小梅日記として出版された。
== 人物 ==
1805年1月22日(文化元年12月22日)に紀州藩校の学習館の助教である川合鼎と、その妻(辰子)の間に生まれる。小梅が5歳の頃に鼎が病死してからは、祖父である川合春川(名は衡(こう)宇は丈平)と辰子に養育された。
春川からは漢学、辰子からは和歌を学んだ。また、絵を画師松亭に学んだ後、野呂介石門弟である野際白雪に師事する。
1819年文政2年)に川合家に養子として迎えられた梅本修(紀州藩士梅本五兵衛の子、通称は豹蔵。号は梅所。後に川合梅所は紀州藩校の学習館の督学(学長)となる)と16歳で結婚した。この頃より、日記を書き始める。
1833年天保4年)には、30歳で息子の岩一郎(靖之、雄輔。後に教師となる)を出産した

1889年明治22年)11月2日没。墓所は和歌山県和歌山市新堀東の妙宣寺

86歳で亡くなるまで、70年間に渡り日記を書き残した。小梅は日記のほかにも、花鳥画人物画などの文人画を多く残している〔。

抄文引用元・出典: フリー百科事典『 ウィキペディア(Wikipedia)
ウィキペディアで「川合小梅」の詳細全文を読む




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