|
===================================== 〔語彙分解〕的な部分一致の検索結果は以下の通りです。 ・ 川 : [かわ] 【名詞】 1. river 2. stream ・ 島 : [しま] 【名詞】 1. island ・ 令 : [れい] 1. (n,n-suf,vs) command 2. order 3. dictation ・ 三 : [み] 1. (num) three
川島 令三(かわしま りょうぞう、1950年9月21日〔誕生日の出典は2007年11月14日発行の夕刊フジである。〕 - )は、日本の鉄道評論家(鉄道アナリスト)である。鉄道友の会会員、全国鉄道利用者会議会員。兵庫県芦屋市出身、山梨県上野原市在住〔過去には、関東では神奈川県のあざみ野駅周辺や、東京都町田市の小山田地区に住んでいたこともある(川島令三『私の戦後「電車」史 1955-1995』PHP研究所、1995年12月29日、245-249ページ)〕。 鉄道に関する著作が多く、中でも『全国鉄道事情大研究』(草思社)は15年以上続くシリーズとして現在も続刊中で、川島はこのシリーズをライフワークとしている〔川島令三『私の戦後「電車」史 1955-1995』PHP研究所、1995年12月29日、251ページ〕。 == 略歴 == 兵庫県立芦屋高等学校、東海大学を経て、電気車研究会『鉄道ピクトリアル』編集部に勤務。同誌のグラフ写真の撮影のほか、同社が刊行していた『電気車の科学』の編集も担当した〔川島令三『私の戦後「電車」史 1955-1995』PHP研究所、1995年12月29日、264ページ〕。 その後はフリーのライターとして鉄道関連の記事を書いていたが、収入も微々たるもので、妻子を養うために父親が関わるベンチャー企業に技術職として就職〔川島令三『私の戦後「電車」史 1955-1995』PHP研究所、1995年12月29日、267ページ〕。 そこで製品〔空気清浄機。営業部門からの要望に応えるのに躍起になったと前著で語っている〕の改良を手がけた経験から、鉄道の改善策に関しても「できないと反論する前に、まずやってみろ」というスタンスを身につけたと語る〔川島令三『私の戦後「電車」史 1955-1995』PHP研究所、1995年12月29日、268ページ〕。 その後鉄道専門出版社「ジェー・アール・アール」設立に参画。鉄道アナリストと自称〔川島の他、広岡友紀が鉄道アナリストを自称している。〕し、著述活動を主に活動、鉄道事故などの際はテレビ番組にコメンテーターとして出演することも多い。 や宮脇俊三のような紀行文学や、種村直樹のような乗車記録とその感想、所澤秀樹や梅原淳などのような雑学的なものとは異なり、広岡友紀と同様、鉄道に関する評論家として「利用する側に立った辛口の感想と改善への提案」を文章で書くスタイルを確立したパイオニア的存在といえる。最近は所澤と同様の雑学的内容の著書が多い。 川島が目指すところは「鉄道の復権」(関西に関しては「民鉄復権」も含む)であり、自らが取り上げた路線がさらに利用しやすくなることを願ってやまない旨を著書に記したこともある。しかし、コストや実情を度外視した具体性に乏しい主張、理想ばかりを並べる、個人の趣味に偏った主張など価値観の押し付けとも思えるような姿勢への批判も多い。 川島は小学生時代から鉄道に興味を持ち、地元の阪神電気鉄道の愛好者となる。現在でも阪神電鉄には造詣が深く〔阪神のダイヤ改正案は、幼少期以来(記事にするかは別として)現在まで書き続けてきたと語っている(川島令三『私の戦後「電車」史 1955-1995』PHP研究所、1995年12月29日、93-94ページ)〕、阪神タイガースファンでもある。 抄文引用元・出典: フリー百科事典『 ウィキペディア(Wikipedia)』 ■ウィキペディアで「川島令三」の詳細全文を読む スポンサード リンク
|