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川崎 安之助(かわさき やすのすけ、慶応3年4月21日〔漆崎多四郎『貴衆両院議員名鑑』、1919年、p.41。〕(1867年5月24日) - 昭和5年(1930年)9月21日〔『官報』第1129号、昭和5年10月2日〕)は、衆議院議員(立憲政友会→中正会→憲政会→立憲民政党)、大山崎村長。 == 経歴 == 山城国乙訓郡大山崎村(現在の京都府大山崎町)出身。1888年(明治21年)、城北青年会という政社を設立して幹事となり、後に山城自由倶楽部を設立した〔『京都府会議員列伝』P.24-25〕。1894年(明治27年)、山城自由倶楽部は自由党京都支部と合併し、自由党員となった〔。 これより先、大山崎村長に選ばれており、後には京都府町村会長を務めた〔『代議士詳覧』P.383〕。1894年より京都府会議員に選ばれ、同参事会員、同副議長、同郡部会議長を歴任した〔。 1908年(明治41年)、第10回衆議院議員総選挙に立憲政友会から出馬し当選。当選回数は合計5回を数えた。その間、政友会が第1次山本内閣と妥協したのを不満として、尾崎行雄らとともに離党〔『新代議士名鑑』P.306〕。中正会に移り、憲政会、立憲民政党の設立に加わった。 その他、京都府農会長、山崎銀行頭取、乙訓銀行取締役、京津電気軌道株式会社監査役を務めた〔。 抄文引用元・出典: フリー百科事典『 ウィキペディア(Wikipedia)』 ■ウィキペディアで「川崎安之助」の詳細全文を読む スポンサード リンク
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