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川崎 巳之太郎(かわさき みのたろう、1873年(明治6年)11月1日〔衆議院『第五十四回帝国議会衆議院議員名簿』〈衆議院公報附録〉、1927年、12頁。〕 - 1951年(昭和26年)7月10日〔『議会制度七十年史 衆議院議員名鑑』〕)は、日本の衆議院議員。ジャーナリスト。 ==経歴== 茨城県久慈郡坂本村(現在の日立市)出身〔『衆議院要覧』〕。1893年(明治26年)、明治学院(現在の明治学院大学)を卒業〔。日刊新聞『世界之日本』の編集長となり、月刊雑誌『天地人』を発行した〔。1898年(明治31年)、アメリカ合衆国に渡り、カリフォルニア大学の聴講生となるかたわら、日米新聞を刊行した〔『時の人』〕。1901年(明治34年)に日本に戻り、翌年に日本植民会社を設立した〔。1903年(明治36年)、日本植民会社の事業開始のためペルーに渡るが、日露戦争勃発により中止となった〔。日露戦争中は、アメリカ合衆国で『大阪毎日新聞』『報知新聞』『時事新報』の特派員を務めた〔。1909年(明治42年)、帰国して内務省警保局・社会局嘱託となり、17年間勤務した〔〔。1919年(大正8年)には第1回国際労働会議に政府随員として派遣された〔。 1927年(昭和2年)、衆議院補欠選挙で当選。その後第20回衆議院議員総選挙と第21回衆議院議員総選挙で再選を果たした。 抄文引用元・出典: フリー百科事典『 ウィキペディア(Wikipedia)』 ■ウィキペディアで「川崎巳之太郎」の詳細全文を読む スポンサード リンク
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