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川戸台遺跡(かわとだいいせき)は、茨城県古河市牧野地にある製鉄・鋳造関連遺跡。主に平安時代・8~10世紀に使用されていたと考えられる〔市村 高男 「歴史を見る目、地域を見る目 古河公方の成立とその歴史的前提」『古河の歴史を歩く 古代・中世史に学ぶ』 古河歴史シンポジウム実行委員会編、高志書院、2012年、24-26頁〕。 == 発掘調査 == 遺跡の所在地は、渡良瀬川に近接した牧野地台地の南端部にあり、現在は古河総合公園から西に約200mの位置で、公園と松月院御所塚間の道路の一部と周辺の畑地が相当する。この付近は以前から、須恵器・土師器等の破片や鉄滓(砂鉄を溶かしたときに出る不純物)が見つかることから、古代の製鉄遺跡であることが知られていた〔 〔古河市史編さん委員会 編 『古河市史 通史編』 古河市、1988年、88-89頁(奈良時代の古河・製鉄)〕。 同地において、平成21年(2009年)10月から22年6月、道路改良工事に先立ち、約400平方メートルの範囲で発掘調査が行われた。その結果、遺構としては、古墳時代の竪穴遺構 2軒、平安時代の製鉄・鋳造工房跡 1か所、鋳造系排滓場 3か所、製錬系排滓場 1か所、製錬炉 1基、溶解炉 1基、鍛冶炉 1基、炭窯 1基、その他にも、粘土採掘抗 2群、柱穴 1か所、溝跡 4条、近世以降の溝跡 4条が発見された。工房跡は、実際の発掘では長さ7.8m、幅5.7m、最大厚90cm の規模で検出されたが、未発掘部を含む全体では、谷の東側斜面に沿った幅20m、厚さ1.5~1.6mの範囲が、製鉄・鋳造関連の廃棄物と工房面で埋め尽くされていたと考えられる〔新堀 哲 「緊急調査 古河川戸台遺跡の概要」『古河の歴史を歩く 古代・中世史に学ぶ』 古河歴史シンポジウム実行委員会編、高志書院、2012年、80-85頁〕。 遺物としては、縄文土器、土師器、須恵器、灰釉陶器、古代軒丸瓦(軒先に用いる丸瓦)、さらには、製鉄関連として、炉壁、大口径羽口、滓類、ルツボ、鋳型(鍋、獣脚付き鍋、把手付き片手鍋、梵鐘、羽釜、栓状等)、鉄塊系遺物があった。これら製鉄関連遺物は、出土した土器の年代観から9世紀の中頃および後半のものと推定されている。同様の遺物は関東各地で出土されるが、他では鋳型片の出土数が数十から数千点であるのに対して、本遺跡では 24,000点を超え、重量も500kg に達することから、他には見られない大規模な製鉄拠点であったと推定される〔。 抄文引用元・出典: フリー百科事典『 ウィキペディア(Wikipedia)』 ■ウィキペディアで「川戸台遺跡」の詳細全文を読む スポンサード リンク
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