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川本 源司郎(かわもと げんしろう、昭和7年(1932年)〔「節税はゲーム」 謎のベールに包まれた億万長者、逮捕の「丸源ビル」川本容疑者 2013年3月5日 産経ニュース〕 - )は、日本の実業家。銀座や中洲、小倉などに「丸源ビル」の名称で多くの雑居ビルを所有する。日本の億万長者の1人として知られる〔月刊Forbes(フォーブス)2000年9月号<日本の億万長者>■〔デベロッパー・不動産〕岩崎福三(岩崎産業)/森章(森トラスト)/堤義明(西武鉄道)/糸山英太郎(新日本観光)/竹中統一(竹中工務店)/川本源司郎(丸源)/森稔(森ビル)〕。 == 人物 == 1932年、福岡県小倉市(現・北九州市)の呉服屋「丸源」に生まれた〔「丸源ビル」の川本源司郎容疑者の逮捕が突きつけた「脱税と節税は紙一重」(後) 〕〔一代で銀座の不動産王 脱税容疑で逮捕の丸源社長 2013年3月5日 産経ニュース〕。子供のころの夢は「金閣寺に住みたい」であった。 地元小倉の私立常磐高等学校を卒業。慶応大学を中退し家業を継ぐ〔。もうけの大半を不動産に投資〔。高度経済成長による不動産価格の高騰で莫大な利益を上げ、貸しビル業に乗り出す〔。 呉服屋を廃業後、1960年に飲食ビル賃貸業に転じる〔。家具付きで飲食店を貸し出す手法が人気を博し、事業は順調に伸び、福岡の中洲に進出する〔。 1972年には東京へ進出する〔。2年後の1974年には、当時は飲食ビルが少なかった銀座の目抜き通りに10階建てのビルを建設〔。1980年には銀座に8棟のビルを所有するまでになった〔。丸の中に「源」という赤いネオンは、夜の銀座の象徴にすらなった〔。バブル期には、銀座をはじめ赤坂、六本木、福岡の中洲などに計60棟ほどの飲食テナントビルを所有、約5,900のテナントが入居していた〔。 バブル期の総資産は1,000億円を優に超え、資産家として雑誌に度々登場〔。映画『地平線』(新藤兼人監督)の制作に際し8億円をキャッシュで出した〔。徹底した現金主義者として知られ借金もゼロ、クレジットカードすら持たず現金でできる範囲のことをやっていたために、バブル崩壊期もほぼ無傷で乗り切った。バブルも川本は異常な状態と認識し、競うように不動産に投資を行っていた銀行も信用せずに自らの目で物件を選んだ。こうした川本の冷徹な一面を虚無主義者と評する者もいた〔産経ニュース(2013.3.10 12:00)「 地面に落ちた札束も拾わない男…逮捕の丸源オーナー、寂しさと達観の素顔」 〕。 自身の事を『日本一の資産家』と自称し、かつては『1000億、2000億は簡単に動かせる』と豪語して回っていた。また、7年前にハワイに高級住宅を購入し、そこに低所得者を住まわせたり建物を管理せず放置して近隣住民とのトラブルになった。金銭に執着しない一面、税金の支払いには極度に消極的な姿勢を見せ「節税をしない経営者はバカ。無駄な税金を支払う必要はない」と公言。節税対策には細心の注意を払った。 抄文引用元・出典: フリー百科事典『 ウィキペディア(Wikipedia)』 ■ウィキペディアで「川本源司郎」の詳細全文を読む スポンサード リンク
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